パワハラ疑惑で佐藤二朗に逆風?フジ声明で風向きが変わった理由
橋本愛との共演トラブルをめぐって、いま佐藤二朗に強い逆風が吹き始めている。
文春の報道が出た直後は「佐藤二朗も気の毒だ」という同情の声がかなり多かったのに、フジテレビが詳しい声明を公開してから、世間の風向きがはっきり変わってしまったのだ。
理由はシンプルで、声明によって、これまで見えていなかった具体的な経緯が明るみに出たからである。
ただ、僕はこの「風向きの変わり方」にこそ、今回の騒動の本質が詰まっていると見ている。
今回は、フジの声明で何が見えてきたのか、そしてなぜ世間の空気がここまでひっくり返ったのかを、わかりやすく書いていこうと思う。
目次
佐藤二朗と橋本愛の騒動で風向きが一変
そもそもの発端は、ドラマで夫婦役を演じた二人の間に起きたトラブルを、文春が報じたことだった。
橋本愛には過去に身体的な被害を受けた経験があり、共演にあたって、身体接触への配慮をフジ側へ事前に伝えていたという。
ところが、この配慮事項は佐藤二朗の事務所までは届いていたのに、マネージャーの判断で、肝心の本人へは伝えられていなかった。
つまり佐藤は、何も知らされないまま撮影に入っていたことになる。
報道の直後、佐藤二朗は「か弱い若い女性と昭和のパワハラおやじという構図を創作された」という趣旨の反論を投稿し、これがものすごい勢いで拡散された。
このときの空気は、どちらかといえば佐藤寄りだったと思う。
「事前に聞かされていなかったなら、佐藤二朗も被害者じゃないのか」という声を、僕もあちこちで見かけた。
おいおい、それなら悪いのは間に立って連絡を止めた側じゃないのか、と感じた人も多いはずだ。
僕自身、最初はそう受け取っていた。
片や佐藤二朗は、この春の日本アカデミー賞で最優秀助演男優賞に輝いたばかりのベテラン。
片や橋本愛は、十代で同じ日本アカデミー賞の新人俳優賞を受けて以来、映画に大河にと第一線を歩いてきた実力派の女優である。
ネットの反応も真っ二つ。
「よくぞ言った」という拍手と、「いや、それはおかしい」という眉ひそめが、同じタイムラインに同居していた。
ところが、フジテレビが声明(それもかなり橋本愛寄りの)を出してから、この空気があれよあれよと変わっていったのだ。
風向きを変えたのは情報が出てきた順番
先に僕の見立てを言ってしまうと、風向きが変わったのは、佐藤二朗の行動が変わったからではないと思っている。
起きたことは、最初から何ひとつ変わっていない。
変わったのは、僕らに届く情報の「順番」だ。
どういうことか、わかりやすく状況を紐解いていこう。
最初に届いたのは、佐藤二朗本人による怒りの反論ポストだった。
感情のこもった強い言葉は瞬く間に拡散されて、ものすごい数の人の目に触れた。
あとから届いたのが、フジテレビのあのクソ長い声明文である。
正直、あの文章量を最後まで読み込んだ人は少ないと思う。
なので僕が代わりにざっくりまとめると、フジが自分たちの不備を認めて謝罪したうえで、いつ何が起きたのかを洗いざらい時系列で説明したもので、読めば読むほど橋本愛の訴えに説得力が出てくる中身だった。
人間というのは、先に聞いた強い話で心の向きを決めてしまいがちな生き物だと思う。
長い資料を最後まで読み込んでから旗を立てる人なんて、実際には少数派だろう。
だから、強い声が先・詳しい資料が後という順番で情報が出てくると、世間の同情はまず声の大きいほうへ流れ、資料が出そろった時点でひっくり返る。
今回の騒動は、その教科書みたいな動き方をしている。
では、あとから出てきた「詳しい資料」には、いったい何が書かれていたのか。
ここからが本題だ。
フジテレビの声明に並んだ具体的な経緯
フジの声明で明らかになった経緯を、時系列で追ってみる。
まず、台本にない形で、佐藤二朗が橋本愛の顔に触れる場面があった。
ただし、この接触自体は、橋本側もフジも「セクハラではない」と判断している。
ここは誤解している人が多そうだが、大事なところだ。
問題は、このあと。
橋本側は「配慮事項を佐藤本人にも伝えてほしい」と求め、フジが佐藤に説明し、佐藤も「どこまで接触してよいか本人に確認したい」と申し出ている。
ここまでは、むしろ真っ当な流れに見える。
ところが佐藤二朗は、正式な話し合いを待たずに、「制限があるなら事前に言うべきだった」と、突然橋本愛の楽屋まで直接伝えに行ってしまったのだ。
そして三者での協議を挟んだ約2週間後、佐藤二朗はもう一度、楽屋を訪れる。
声明によれば、そこで告げられたのは「あなたの過去の被害は不幸なことだけれども」「身体接触に制約を設けるのであれば、俳優の仕事を続けるべきではない」「友人に相談したら、友人も橋本のほうがおかしいと言っていた」という趣旨の言葉だった。
いやいや、わざわざ二度も楽屋に足を運んで言うことがそれか、と正直ずっこけた。
橋本愛は強いショックを受け、涙が止まらなくなったという。
外部の弁護士は、この一連の言動を「受忍限度を超える精神的負荷を与えたもので、ハラスメントに当たる」と判断した。
うーん、これは重い。
ここからのフジの対応も、事態の深刻さを物語っている。
フジは二人が直接やり取りすることを制限し、一時はドラマの撮影中止まで検討したという。
それでも撮影が続けられたのは、橋本愛の希望などを踏まえての判断だった。
佐藤自身も「制約のある中で演技を続けることはできない」と苦しさを口にしていたとされ、現場は最後まで綱渡りだったようだ。
撮影が終わった後には、情報漏えいや誹謗中傷を控えるよう、フジから佐藤側へ文書での申し入れも行われている。
和解に向けた仲介も進められていたが、最終合意の前に、文春の報道が世に出た。
正直、この「友人もそう言っていた」だけは、擁護のしようがないと思っている。
自分の意見に他人の頭数を足して相手を囲むやり方は、職場でも家庭でも、一番人を追い詰める言い方だからだ。
もちろん佐藤側は「事実と異なる」「専門家からはハラスメントに当たらないと確認した」と真っ向から反論していて、この食い違いはまだ決着していない。
ただ、「何も知らされていなかった気の毒なベテラン」という最初の構図だけでは、もう語れなくなってしまったのが、現在の佐藤二朗の状況だと言える。
これだけ具体的な経緯が並べば、印象が変わるのは自然なことだと思う。
あおり運転のデマ騒動と重なる構図
似たようなことは、過去にもあった。
2019年、常磐道のあおり運転事件のときだ。
加害者の車に同乗していた女性だとして、まったく無関係の女性がSNSで名指しされ、電話番号や勤務先まで晒されて、袋叩きに遭った。
「この人が犯人らしい」という断定の投稿が先に走り、確認はあとまわし。
名指しされた女性の会社には電話が鳴りやまなくなり、日常生活そのものが壊されたと報じられていた。
結局まったくの人違いで、その女性は発信元を訴え、損害賠償を命じる判決まで出ている。
自分の身に置き換えたらと思うと、ゾッとする話だ。
あのときも今回のケースと同じで、順番のマジックが事態を混乱に陥れてしまったのだ。
強くて分かりやすい情報が先に来て、正確な情報があとから来る。
その時間差のあいだに、大勢の「正義」が無関係の人を追い詰めていった。
そして人違いだと判明したあと、叩いた人たちがちゃんと謝ったかというと、多くはそっと画面を閉じて、素知らぬ顔で次の話題へ移っただけだ。
人間なんて、そんなもんである。
今回の騒動でも、同じことが起きている気がしてならない。
白状すると、僕自身もそうだった。
最初の反論ポストを見たときは、正直「橋本愛のほうがおかしいんじゃないか」と思ってしまったし、声明が出たいまは「やっぱり佐藤二朗が悪かったのか」と思ってしまっている自分がいる。
立場は行ったり来たりでも、届いた順番に飛びついている点では、ずっと同じなのだ。
橋本愛の涙と伝わらなかった配慮
ひとつだけ、順番の話とは切り離して書いておきたいことがある。
橋本愛の涙のことだ。
過去に傷を負った人が、身体への接触に線を引くのは、わがままでも神経質でもない。
安心して仕事を続けるための、切実な境界線だと言える。
「配慮してほしい」と口にすること自体、面倒な人だと思われるかもしれないという怖さと隣り合わせで、本当は相当な勇気がいったに違いない。
それに、これは心理だけの話でもない。
佐藤二朗は57歳、橋本愛は30歳と、親子ほども年の離れた間柄である。
27歳も年上の、現場で大きな影響力を持つ大先輩に楽屋まで来られて持論をぶつけられたら、内容がどうであれ、普通に怖いだろう。
ましてや橋本愛ほどの美人女優ともなれば、不意に距離を詰めてくる相手への警戒は、若い頃から人一倍積み重ねてきたはずだ。
令和のいまは、昭和や平成の「現場ならこれくらい当たり前」という感覚のままでは通用しない時代でもある。
そうした事情を重ねていくと、彼女の求めた配慮は、ごく真っ当なものに見えてくる。
その線に対して「制約があるなら俳優を続けるべきではない」という言葉が返ってきたのだとしたら、それがどれほど重い一撃となるか…。
どんな事情があったにせよ、外から情報を受け取るときは気をつけたいポイントだ。
そして忘れてはいけないのは、この状況を作った出発点が、佐藤二朗でも橋本愛でもなく、「配慮事項を本人に伝えない」と判断したマネージャーの一手だったという点である。
あの時点で配慮事項が佐藤二朗本人に伝わってさえいれば、楽屋の訪問も、橋本愛の涙も、この騒動そのものも、おそらく起きていなかった。
風向きは明日にはまた変わる
ここまで書いてきて、それで結局どっちを信じればいいのか?
双方の主張は食い違ったままで、和解に向けた話し合いも、最終合意の前に報道が出てしまったという。
これから先、また新しい事実が出てくるかもしれない。
そのたびに、風向きは変わるだろう。
数週間前に「佐藤二朗も気の毒に」と言っていた世間と、今日「やっぱり佐藤二朗が悪い」と言っている世間は、まったく同じ世間である。
だからこそ、覚えておきたいのだ。
最初に届いた強い話で旗を立てると、次の情報が出るたびに、自分の正義ごとひっくり返される。
モヤモヤしたまま結論を保留するのは、たしかに気持ちが悪い。
それでも、そのモヤモヤに耐えることが、無関係の誰かや、まだ言い分のある当事者を間違って傷つけないための、たぶん唯一の方法なんだと思う。
この騒動がどう決着するのかは、正直まだわからない。
橋本愛と佐藤二朗、それぞれの言い分の行方は、続報を待つしかないだろう。
ただ、次に強いニュースが飛び込んできたとき、届いた順番だけで誰かを叩いてしまわないかどうか。
今回まんまと風向きに流されてしまった一人として、僕も気をつけたいと思う。