2026年1月30日、SNSを震撼させた動画があった。

福島県会津若松市立第五中学校の生徒による、凄惨な集団暴行の記録である。

土下座を強要され、顔面を蹴られ、血を流す少女。

その周りで笑い声をあげる加害者たち。

正直、見ていて吐き気がした。

DEATHDOLNOTE
【偏差値???】

会津若松市立第五中学校
加害生徒

備考 : 土下座させて顔を蹴るX(@deathdolnote)より

これを「いじめ」と呼ぶことすらどこか生ぬるく、傷害事件、いや、もはや人間の所業とは思えない。

なぜ、こんな残酷なことができるのか。

どうしたら、人の痛みをエンタメのように楽しめるようになるのか。

この記事では、加害者たちの異常な言動から、その背景にある環境、そして今後の法的処分まで一つひとつ紐解いていきたいと思う。

会津若松五中のいじめ加害者の異常な言動

動画を見た人なら、誰もが同じことを感じたはずだ。

「これは人間のやることじゃない」と。

問題の映像には、枯草と砂にまみれた地面に土下座させられた少女の姿が映っている。

少なくとも4人以上の男子生徒がその周囲を囲み、フードやマスクで顔を隠しながら、まるでゲームのキャラクターを操作するかのように暴力を振るっていたのである。

顔面への蹴り。

頭部を靴で踏みつける行為。

鼻血が出ても、彼らの手は止まらない。

そして何より戦慄するのは、暴行後に撮影されたと思われる被害者の顔写真を囲んで、彼らが発した言葉である。

「パンパンやないかーい」

腫れ上がった少女の顔を見て、笑いながらそう叫んだのだという。

「これ、俺やったんだよ」「エグッ」という声も聞こえる。

まるで、友達とゲームセンターでハイスコアを出したときのような、あの達成感に満ちた口調で。

この感覚、普通の人間には到底理解できないものだろう。

 

被害者のスマホも破壊されていた。

思い出の写真、友人とのやり取り、すべてのデータが一瞬で消え去った。

物理的な暴力だけでなく、精神的なダメージまで計算されていたのかどうかはわからないが、結果としてそうなっている。

SNS上では「胸糞最悪」「見て眠れなくなった」という声が殺到していたが、当然の反応である。

動画からは、「そのまま死ねばいいじゃん」「あーあ、目見えない」「きったねぇ」といった言葉も聞き取れるとの指摘がある。

被害者の苦痛を、まるで映画を観ているかのように眺め、コメントする。

これを「サイコパス」と呼ぶ人がいるのも無理はない。

しかし、サイコパスという言葉で片付けてしまうのも、なんだか違う気がする。

彼らは一人ではなく、集団だった。

集団の中で、誰も「やめよう」と言わなかった。

むしろ、暴力がエスカレートするほど、グループ内での承認欲求が満たされていったのではないだろうか。

心理学でいう「拡散責任」という概念がある。

大勢でやれば、一人ひとりの責任が薄まるという錯覚のことだ。

本来なら暴力を止める役割を果たすはずの傍観者が、逆にエスカレートの燃料になってしまう。

あの動画に映っていたのは、まさにその負の連鎖だったのだと思う。

 

ネット上では、動画の細部から様々な指摘も出ている。

加害者の足にタトゥーらしきものが見える、指に水色のネイルをした人物がいる、といった情報である。

「男子だけじゃないのでは」「本当に中学生なのか」という憶測も飛び交っている。

真偽は定かではないが、それだけ多くの人がこの事件に衝撃を受け、真相を知りたがっているということなのだろう。

被害者の少女は、目が開かないほど腫れ上がり、鼻血を流し、深刻な精神的ショックを受けているという。

彼女のトラウマがどれほど深いものか、想像することすら辛い。

そして改めて思う。

これは「いじめ」という言葉で済ませていい問題ではない。

集団傷害罪、器物損壊罪。

れっきとした犯罪である。

会津若松五中のいじめ加害者の育った環境

「なぜこんな人間になれるのか」という問いを突き詰めていくと、どうしても家庭環境の話に行き着く。

もちろん、どんな環境で育っても立派な人間になる人はいるし、恵まれた家庭でも道を踏み外す人はいる。

それでも、暴力に対する抵抗感がここまで麻痺している背景には、何かしらの成育歴が影響しているはずだと考えるのが自然だろう。

ネット上では様々な噂が飛び交っている。

その真偽を確かめる術は今のところないが、「火のないところに煙は立たぬ」という言葉もある。

ここでは、世間の声とともに、加害者たちがどのような環境で育ったのかを考察してみたい。

①親の顔が見たいという世間の批判

SNSで最も多く見かけた声の一つが、「親の顔が見たい」というものだった。

「どんな教育をしたらこんなクズが育つんだ」

「親も同罪だろ」

「さっさと自首させろ」

怒りの矛先が加害者本人だけでなく、その親にも向けられるのは、ある意味で自然な流れかもしれない。

ネット上の噂では、加害者の親が建設業や自営業に従事しているという話もある。

厳しいしつけが逆効果になったのか、それとも放任主義が暴走を招いたのか。

真相はわからないが、世間の批判の根底にあるのは「家庭は社会の鏡」という考え方である。

子どもの行動は、親の価値観を映し出す。

だからこそ、「親の無責任が子どもを怪物にした」という批判が噴出するのだろう。

一部では、加害者の親がPTAの役員を務めているという噂もあり、学校の対応が遅れた原因ではないかと疑う声もあった。

事実かどうかは別として、そういう想像をさせてしまうこと自体が、この事件の根深さを物語っている。

 

②幼少期からのトラブルや素行の噂

ネット上の情報によると、加害者たちは小学校時代からトラブルメーカーだったという。

「喧嘩が日常茶飯事だった」「いじめ歴がある」「中学に入ってから行動がエスカレートした」といった声が、地元コミュニティから漏れ聞こえてくる。

飲酒、喫煙、万引き、無賃乗車。

噂が本当であれば、彼らにとって暴力や違法行為は、すでに日常の一部だったのかもしれない。

さらに衝撃的なのは、今回の被害者以外にも、耳に砂を入れられるなどの被害に遭った生徒が複数いるという情報である。

彼らの暴力は、今回が初めてではなかったということになる。

福島県会津若松という土地は、東日本大震災の影響を色濃く受けた地域でもある。

震災後の不安定な環境が、子どもたちの攻撃性を育んでしまった可能性も否定できない。

幼少期の愛情不足が共感力の欠如を招き、暴力が「強さの証明」になるという歪んだ価値観を形成してしまったのではないか。

そう考えると、やるせない気持ちになる。

③ネットで囁かれる家庭環境の実態

加害者の家庭環境について、ネット上では様々な憶測が流れている。

「親が離婚している」「経済的に厳しい家庭」「親子でヤンキー文化を継承している」といった情報だ。

中には、加害者の自宅が特定されたとする投稿もあり、集合住宅で暮らす貧困層という説も囁かれている。

もちろん、これらの情報の真偽は確認できていない。

貧困家庭だから暴力的になる、というのも短絡的すぎる見方だろう。

しかし、経済的なストレスが家庭内の緊張を高め、子どもに悪影響を与えるというのは、珍しい話ではない。

震災後のPTSD、地方特有の閉鎖的な社会構造、教育格差。

様々な要因が複雑に絡み合っているのだろう。

暴力に対する抵抗感の麻痺は、家庭内で親の喧嘩を日常的に目撃していた子どもに見られることがあるという。

もし加害者がそういう環境で育っていたとすれば、暴力が「普通のこと」として刷り込まれていた可能性もある。

だからといって、彼らの行為が許されるわけではない。

どんな環境で育っても、人を傷つけていい理由にはならないのだから。

 

④周囲の大人はなぜ止められなかったか

加害者の家庭だけでなく、学校や地域の大人たちにも批判の目が向けられている。

「先生は知っていたはずだ」

「見て見ぬふりをしていたのでは」

「大人たちの責任も重い」

SNSには、こうした声があふれていた。

学校側は「警察が捜査中」と把握していたとされるが、事前に兆候を察知して介入することはできなかったのだろうか。

教師の多忙さ、いじめの隠蔽体質、地域の閉鎖性。

様々な要因が、大人たちの介入を躊躇させたのかもしれない。

 

興味深い指摘もあった。

学校で実施されるいじめアンケートは、隣の席の生徒に見られる環境で書かされることがあり、本音を書けないというのである。

形式だけのアンケートに、どれほどの意味があるのか。

過去の凄惨ないじめ事件を思い出す人も多いだろう。

北海道旭川の事件では、被害者が亡くなってから初めて社会問題化した。

結局、被害者が命を落とすか、今回のように動画が拡散されるかしないと、誰も動かないのではないか。

そう考えると、この社会のシステム自体に深い問題があると言わざるを得ない。

会津若松五中のいじめ加害者は逮捕される?

2026年1月31日現在、警察は捜査中とされているが、加害者の逮捕報道はまだない。

動画という決定的な証拠があるにもかかわらず、なぜこれほど時間がかかっているのか。

疑問に思う人も多いだろう。

過去の類似ケースを振り返ってみると、ある程度の見通しは立てられる。

2023年の栃木県の高校生暴行事件では、動画が拡散された後に抗議が殺到し、警察が暴行事件として捜査を開始、加害者への聴取が行われた。

2024年の大阪の中学生いじめ事件でも、動画拡散後に即座に逮捕に至っている。

今回の会津若松の事件も、同じ流れをたどる可能性は高いのではないだろうか。

 

土下座の強要、顔面への蹴り、スマホの破壊。

これだけの証拠があれば、傷害罪と器物損壊罪の適用は十分に可能である。

加害者が14歳以上であれば、少年法の下でも触法少年として扱われ、逮捕・送致の対象になりうる。

その後は家庭裁判所での審判という流れが予想される。

 

少年法については、様々な意見がある。

「更生の機会を与えるべき」という考え方は理解できる。

しかし、SNS上の声は圧倒的に厳しい。

「二度と社会に戻すべきではない」

「少年法を改正しろ」

「終身刑級の非道さだ」

気持ちはわかる。

あの動画を見た人なら、誰もが同じように感じるのではないだろうか。

被害者の少女が負った心と体の傷は、一生消えないかもしれない。

それなのに、加害者が数年後に何食わぬ顔で社会に戻ってくる可能性がある。

それは、あまりにも理不尽ではないか。

すでにネット上では、学校への電話、教育委員会への通報、警察署への情報提供といった動きが広がっている。

この圧力が、捜査の進展を促すことになるかもしれない。

同時に、加害者の特定情報も拡散されている。

もちろん、私刑を推奨するつもりはない。

しかし、「社会的制裁」という形で、彼らが自分の行為の重大さを思い知ることになるのは、避けられない流れなのだろうと思う。

 

最後に、一つだけ言っておきたい。

この時代、暴力は通用しない。

どんな理由があっても、人を傷つけることは許されない。

そして何より、暴力を「楽しい」と感じる感覚は、人間として根本的に何かが壊れている証拠である。

加害者たちが適切な処分を受け、被害者の少女が少しでも心穏やかに過ごせる日が来ることを願っている。

そして、同じような悲劇が二度と起きないよう、私たち大人一人ひとりが、子どもたちの異変に気づける社会を作っていかなければならない。

それが、この事件から学ぶべき最大の教訓なのかもしれない。

熊本県山都町立矢部中学の生徒がチョークスリーパーをかけている
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