ナイトスクープ「次男になりたい長男」回がヤラセ炎上!打ち切り不可避の問題点
長年にわたり「ガチの依頼」に全力で応える番組として、関西のみならず全国の視聴者に愛されてきた『探偵!ナイトスクープ』がやらせをしていたと世間を騒がせている。
事の発端は2026年1月23日に放送された「次男になりたい長男」で、ヤングケアラーという社会問題を彷彿とさせる内容の回。
そこで制作側による過剰な演出があったことで、出演家族が大炎上。
週が明けた1月27日、朝日放送テレビ(ABCテレビ)は公式サイトにおいて、放送内容に複数の不適切な「演出」があったことを公式に認める声明を発表する事態となった。
私もこの番組が好きで、これまで何度も笑わせてもらい、時には涙することもあった。
もちろん、すべてがすべてやらせとは思わないし、視聴率調査の回のガチ感は探偵ナイトスクープが長年関西の人たちに愛されている証拠だと思う。
ヤングケアラー回の炎上については以下の記事に書いた通りだが、一体、どのような意図を持ってこのような過剰演出につながってしまったのか?
本記事では、番組側が認めざるを得なかった演出の具体的な中身と、それによって浮き彫りになったメディア倫理の欠如について深掘りしていこうと思う。
目次
「演出認定」という苦渋の決断
2026年1月、大阪が誇る老舗バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』において、放送倫理を揺るがす重大な不祥事が発生した。
それは1月23日放送の「6人兄妹の長男を代わってほしい」という、当時12歳の少年から寄せられた切実な依頼である。
番組の構成上、小学6年生の長男が幼い弟妹5人の世話や家事に明け暮れ、「長男をやることに疲れてしまった」と涙ながらに吐露する姿は、現代社会が抱えるヤングケアラー問題として大きな反響を呼んだ。
しかし、放送直後から「依頼者の両親」に対するバッシングが集中し、最終的には児童虐待の疑いがあるとして行政が動くまでの事態に発展。
これを受けたABCテレビは1月27日、番組制作の過程で事実を歪めるような複数の「演出」を行っていたことを、公式に認める声明を出すに至ったのだ。
演出については、番組スタッフは最初から「感動」というゴールを勝手に設定し、家族の置かれた状況や子供の繊細な心情を意図的に歪めて構成していた、というもの。
探偵ナイトスクープは、視聴者参加型のバラエティとして関西圏を中心に長年愛されている番組で、神回などが語り継がれる分、放送ギリギリのラインを攻めるところもある。
今回はそのギリギリのラインを大きく外してしまったようだ。
この声明は、38年もの間守り続けてきた「視聴者の真実の依頼に応える」という番組の屋台骨を、自ら叩き折るような極めて重い声明。
バラエティ番組のオヤクソクをある程度理解している長年のファンであるほど、今回の演出認定については裏切られたような気持ちになるのかもしれない。
番組側が認めた具体的な「捏造」の5つのポイント
今回、番組側が「演出」として公表した内容は、単なる補足的な微調整といったレベルではない印象を受けた。
依頼の前提条件そのものを書き換えているからだ。
視聴者の同情を一方的に誘うために、事実を180度転換させた「捏造」に近い演出手法が含まれていた事実は、「まぁあるだろうな」と思っていたとしても驚きを隠せない。
ここで、ABCテレビが公式に認めた内容や家族側の証言から浮き彫りになった、特に深刻な5つの問題点を整理してみよう。
①本来の依頼文を「悲劇」へと書き換え
本来、依頼者の少年が番組に送った文章は、「家族8人みんなで家事や育児を協力しあって頑張っているが、他の兄弟よりも僕が一番頑張っている。他の家族の子供と比べてどうなのか調査して欲しい」という、わりと前向きな調査依頼だったという。
ところが放送では、これが「長男をやるのに疲れた」「もう次男になりたい」という、悲劇的なヤングケアラーを強く想起させる文面に完全に改ざんされていたのだ。
つまり、制作者側は、物語に「救済」という安易なドラマをもたらすために、本来そこには存在しなかったはずの「疲弊」や「絶望」をわざわざ捏造したということか。
ちなみに依頼者家族と相談し、了承を得たうえでの改稿だったそうだ。
実際、放送時には「家族で協力している」という前提が完全に消えて、「長男一人が疲弊している」という印象が残る内容となっていた。
たしかにほのぼの系の依頼より、多少緊張感のある依頼のほうが視聴者の食いつきは良いことはわかる。
そこに多少の編集が入ることは仕方がないことかもしれない。
しかし、視聴者参加型をうたっておいて、依頼者の真意を捻じ曲げて放送することは、番組の存在意義を揺るがすことにならないだろうか。
ここまで意味が変わる「改稿」は、もはや別のストーリーだからだ。
このような行為を「演出」という言葉一つで片づけてしまえばそれまでだが、依頼主である12歳の子供が本当にその意味を理解して同意したのかは気になるところではある。
②父親の外出シーンを悪意を持って演出
放送の中では、子供たちが必死に家事に追われる一方で、父親が非常にあっさりした態度で家を出ていくシーンがあった。
これについて番組側は、家事の大変さを際立たせる目的で、「探偵と子供たちだけの状況」を意図的に作り出したことを認めている。
現実には、父親は生活を支えるための仕事に向かっただけであったが、スタッフがタイミングを細かく指示し、あたかも彼が「育児放棄」をしているかのような印象を世間に与えたことは間違いない。
一人の父親を、番組の視聴率やストーリーのために「家庭を顧みない悪役」へと仕立て上げた演出は、個人の名誉を著しく傷つけるものである。
実際、依頼主の両親はSNSを掘り返され、それが日常の一部である可能性があると多くの視聴者から指摘されているが、もしまったく真逆の人格であるならば父親にとってはとんだ災難である。
③あまりに無神経な「米7合」発言の差し込み
番組のラストシーンで、帰宅した母親が真っ先に「米炊いて、7合」と長男に命じる場面があり、多くの視聴者に衝撃を与えた。
このセリフは、視聴者に「結局、この子の負担は何も変わらないのか」という深い絶望感と母親への嫌悪感を植え付けたが、これも番組側の演出であったことが判明している。
制作側は「非日常から日常に戻る合図」としての演出だったと釈明しているが、その内容はあまりに当事者への配慮を欠いた、無神経なものであったと言わざるを得ない。
ヤングケアラーという社会の深淵にある問題を、バラエティ番組の「オチ」として扱う軽率な姿勢が、結果として多くの人々の心を逆なでし、炎上を招いた要因となってしまったことは間違いないだろう。
これが作られた創作劇やコントであれば悪くないオチだが、探偵ナイトスクープが視聴者参加型バラエティであり、ある種のドキュメンタリー要素があるからこそ「米炊いて、7合ー!」というヤングケアラーを放置したような残酷なオチが受け入れられなかった。
そこはもっと配慮すべきだったと思う。
④「次男になりたい」という純粋な動機の加工
子供が日常の中で抱いた「次男になってみたい」という純粋で微笑ましい遊び心を、あたかも「家庭内での疎外感」が原因であるかのように歪めて描写した点も、見過ごせない大きな問題だ。
実際には家族の仲は良好であったにも関わらず、放送上では長男一人が孤独な戦いを強いられているかのような編集が執拗に施されていた。
12歳とはいえ、まだ小学生の子供を、大人の描きたい「感動のシナリオ」の駒として利用したことについては残念だ。
探偵ナイトスクープは「視聴者の真実の依頼を調査する」というコンセプトで38年続いてきた番組だからこそ、そこはもう少しなんとかならなかったのかと思う(もちろん、制作陣もこんな結果になるとは考えてもなかっただろうが)。
ただ、当初の依頼内容とは異なる形に加工され、全国に晒されたこの家族に対して制作陣はどのような責任を取るつもりなのだろうか。
⑤充実していた習い事や受験の事実を隠蔽
番組内では、長男が24時間休む間もなく家事に追われているかのような印象操作が行われていたが、実際には彼は週に3〜4回も大好きなバスケットボールの習い事に通っていた。
それどころか、将来を見据えて中学受験の準備も着実に進めていたという事実は、放送では一切触れられることはなかった。
こうした「充実した日常」という事実は、制作側が作り上げたい「悲劇のヒーロー」という虚像を維持するために、意図的に排除されたと考えざるを得ない。
本当の家族の姿を隠し、視聴者を欺いてまで特定のイメージを植え付けようとする手法は、ドキュメンタリー性を売りにしてきた番組のプライドを自ら捨てたに等しい行為である。
事実の一部を意図的に隠すことは、時に直接的な嘘をつくことよりも悪質な印象操作になり得ることを、プロであるはずの制作者たちが忘れていたのだろうか。
私はこの放送回を観て、こんなに家が片づいているのにヤングケアラーという社会問題を抱えているのかと驚いた。
しかし、ヤングケアラー問題について、制作陣による演出が噛んでいたという発表を聞いて合点がいった。
この家族の長男がそれほど不幸でないなら本当に良かったが、やはりテレビの過度な演出にはヤレヤレである。
探偵ナイトスクープは打ち切り不可避?
そんな『探偵!ナイトスクープ』が打ち切り不可避という声もある。
実際、その辺りはどうなのだろうか?
今回の騒動は、単なる一バラエティ番組の「ヤラセ」という枠を超え、社会全体に計り知れない負の影響を及ぼしている。
専門家の厳しい指摘を待つまでもなく、こうした「感動ポルノ」的な演出は現実の深刻な社会問題を歪曲して伝え誤解を広めるリスクが極めて高いのだ。
特に今回のケースで深刻なのは、「あれは演出でした」という発表がなされたことで、本当に支援を必要としているヤングケアラーたちの存在までもが疑われる「信憑性の低下」を招いている点である。
「テレビで見るヤングケアラーなんて、どうせ演出だろう」という冷笑的な視点が社会に広がれば、救われるべき子供たちのSOSが見逃される最悪の事態に繋がりかねない。
だからこそ、真実をうたいながら「ヤラセ」をしてしまった番組は一発退場の危険性が高いのだ。
2019年には『クレイジージャーニー』が希少動物の発見ヤラセで打ち切りになった。
事前に業者から買い取った希少動物を、”あたかも偶然に”発見したかのように見せかけて放送したからだ。
「ほこ×たて」や「あるある大辞典」など、ヤラセや仕込み発覚で打ち切りになった番組は他にもある。
特に今回のように全国レベルの炎上騒動を引き起こし、依頼者家族の生活に大きな影響を及ぼしたことを考えれば『探偵!ナイトスクープ』打ち切りの声は少なくない。
とはいえ、関西でも高視聴率を誇る老舗番組であり、人情味の強い関西圏のファンも多いので番組が存続する可能性もあるはずだ。
もちろん、条件はある。
- ABC社長による記者会見と謝罪
- 「ノー演出」などの原点回帰
- BPO審議への真摯な対応
- 未成年者保護の徹底
- 視聴者アンケートを実施して透明性のある運営
などなど。
ハードルは高いが、より深い反省、より大胆な改革を行うことで打ち切りの導火線を断つことができるのではないだろうか。
それとは別に今回の件では、SNSを通じた現代の「市民ジャーナリズム」が、番組側の隠蔽しようとした事実を鮮やかに暴き出した点については良かったように思う。
昨今の学校内のいじめ動画や社員への暴行動画においてもそうだ。
あれがなかったら加害者が逮捕されてなかった可能性が高い。
しかしその一方で、行き過ぎた犯人探しや家族への誹謗中傷が、結果として子供をさらに精神的に追い詰める二次被害を生んでしまっている。
番組側が、行政や国会議員をも動かすほどの影響力を持ちながら、その責任を「演出」という都合の良い言葉で片付けようとした姿勢には、今後も厳しい目が向けられ続けるだろう。
視聴者との間に築いてきた数十年越しの信頼関係を根底から破壊した『探偵!ナイトスクープ』に、以前と同じような温かい眼差しが注がれる日は、残念ながら当分先のことになりそうだ。
母親のインスタ投稿という消えない証拠
番組側は「演出でした」と説明しているが、それだけでは説明できない問題がある。
母親のインスタグラムである。
炎上後に削除されたが、過去の投稿が多数保存されている。
前回の記事で詳しく解説したが、そこには番組放送のずっと前から気になる投稿がいくつもあった。
- 長男が小学1年生の時「(料理が)結構使える」「自分が楽できる」という投稿
- 子どもに対する「バカと天才は紙一重」などの否定的な発言
- 子供を名前ではなく「ファースト」「セカンド」呼び
- 娘を平気で「ブス」「どすこい」と言う発言
- 出血した子どもの写真を娯楽として投稿
- マルチ商法関与の疑惑
- 自らを「ヒトラーのママ」と称する投稿
- 友人と飲酒中、長男に赤ちゃんの世話をさせている写真
これらは2019年からの蓄積である。
5年も前から「番組のための演出」を仕込んでいたとは考えにくいだろう。
SNS上では「番組の演出どうこうの問題じゃない。
家族の本質がヤバいのに、番組が隠蔽した」という見方をする人もいる。
母親の問題については前回の記事で
- 番号で呼ぶ異常な価値観
- 長男を「使える労働力」と呼ぶ冷酷さ
- 子供の体臭や容姿をSNSで侮辱する心理
- 自分の楽のために子供を犠牲にする思考
という4つの視点から詳しく解説しているので、ぜひ参照してほしい。
まとめ
『探偵!ナイトスクープ』を巡る今回の演出問題は、視聴者の純粋な善意と信頼を裏切る形で、あまりに大きな傷跡を残してしまった。
強引な感動を作り出すために12歳の少年の言葉を都合よく書き換え、平穏な家族の姿を意図的に歪めた制作手法は、もはや演出の枠を逸脱した「やらせ」と言われても仕方のないものだ。
炎上により迷惑を被った家族の心のケアを最優先にすることはもちろん、番組側には第三者委員会などによる徹底した事実解明と説明責任が強く求められている。
ただ、今回の炎上に関して「番組の演出だけで炎上したわけではない」という声もSNSでは多く見られる。
振り上げた拳を下ろす場所を見つけられない人もいるだろう。
そのような状況を作った番組の責任は非常に重い。
ヤングケアラーという深刻な社会問題をエンタメとして安易に消費した代償は、38年という輝かしい歴史の終焉という形で現れる可能性も否定できない状況だ。
かつて上岡龍太郎や西田敏行が命を吹き込み、大切に築き上げてきた「真実の人間ドラマ」の灯を消さないための抜本的な改革を願わずにはいられない。