高田馬場ライバー事件の懲役16年が物議…旭川の27年との違いとは?
東京・高田馬場で、ライブ配信中の女性が命を奪われた事件があった。
その裁判で、東京地裁は被告の男に懲役16年の判決を言い渡したのだが、この16年という数字にネットでちょっとした物議が湧いている。
そして、旭川で17歳の少女が亡くなった事件で主犯の女に出た懲役27年とくらべる声も広がっている。
「11年もの差がひっかかる…」
というわけだ。
旭川の事件では、検察が懲役27年を求め、裁判所もそのとおり27年を言い渡した。
いっぽう高田馬場の事件で、検察が求めたのは20年。
弁護側は9年を主張し、判決は16年という結果。
そもそも高田馬場の20年は、あくまで「求刑」だ。
実際に言い渡される刑がそれより軽くなることもある、と前から言われていた。
そして出た判決は、まさに求刑より軽い16年だった。
求刑の時点でも7年あった差は、判決まで見ると11年に広がっている。
そう考えると、なぜここまで差がつくのかと疑問が浮かぶのは自然なことだろう。
今回は、この二つの事件で何がちがうのかを一緒に考えていきたい。
高田馬場ライブ配信事件で何が起きたのか
事件が起きたのは、2025年3月11日の午前9時50分ごろ。
当時22歳の女性配信者が「山手線を歩いて1周する」という企画を配信しながら、高田馬場の駅の近くを歩いていた。
そこへ、配信を見て居場所を追っていた44歳の男が現れた。
男は刃物を2本用意し、栃木県から東京まで来て待ち伏せしていた。
男は女性を路上で倒し、上から何度も刃物を振るったという。
女性が助けを求める声は、1分ほどで途絶えた。
確認された傷は、少なくとも55か所。
しかも、配信はその間もずっと続いていた。
画面の向こうで見ていた人たちは、襲われる場面の一部を、その場で目にしてしまった。
そのあと男は、倒れた女性をスマホで撮影し、頭を蹴るなどしたとも伝えられている。
ここまで来ると、お金を返してもらえなかった怒り、という説明だけでは、とても受け止めきれない。
命を奪ったあとまで、女性が大切にしてきたものまで傷つける。
そのやり方には、強い気持ち悪さがこみ上げてくる。
ただ、男の中には、そこまでする理由があったようだ。
二人の関係は、事件の数年前にさかのぼる。
男は配信アプリの投げ銭などに163万円を使い、さらに女性へ254万〜255万円ほどを貸したという。
ところが、返ってきたのは3万円だけだったとされる。
男は、お金を返してほしいと裁判まで起こした。
それでも怒りは消えず、事件の前日に配信の予告を見て、準備を始めてしまう。
最初の裁判で男は罪を認め、検察は懲役20年を求めた。
弁護側は、9年が妥当だと主張した。
そして2026年7月15日、東京地裁が出したのは懲役16年という判決だった。
事件がここまで恐ろしいと言われる理由
「残酷な事件だった」のひと言では、終わらせられない。
この事件には、僕らのようなふつうの人が感じる怖さが、いくつも重なっているからだ。
ライブ配信が、待ち伏せの道具に使われた。
55か所もの傷が残るほど、攻撃が続いた。
そして、数年におよぶしつこい思いが、事件に変わってしまった。
特別な場所で起きたわけではない。
朝の路上で、配信を見ていた人たちの目の前で起きたのだ。
だからこそ、事件を知ったあとも気味の悪さがどうも残ってしまう。
ライブ配信で居場所を知られ、待ち伏せされたこと
今回の事件で一番ぞっとしたのは、ここだ。
女性は歩きながら、配信の中で高田馬場へ近づいていることを伝えていた。
見ている人と同じ時間を楽しむための実況だったはず。
ところが男は、その情報を、女性へ近づくために使った。
前日の企画予告と、当日の配信。
それが、女性を見つける手がかりに変えられてしまった。
ライブ配信のよさは、配信する人と見る人の距離が近いことにある。
でも、配信する人には、画面の向こうに誰がいるのかまでは見えない。
たくさんの見ている人の中に、強い恨みを持った一人がまぎれていても、見分けるのは難しい。
駅の名前、店の看板、進む方向、着いたことを知らせるひと言。
ひとつだけでは場所がわからなくても、その場で重なっていくと、待ち伏せする側にはじゅうぶんな案内になってしまう。
配信の近さが、そのまま逃げ場のなさへ変わった。
この事件が配信する人だけの話に思えないのは、僕らも同じスマホを毎日使っているからだろう。
くり返し刺した犯行から見えるもの
攻撃のはげしさも、多くの人を震撼させたことだろう。
男は倒れた女性に馬乗りになり、頭や顔、首のあたりを、何度も刃物で刺した。
確認された傷は、少なくとも55か所。
カッとなって、で片づけられる数ではない。
しかも、だ。
男は、女性が動かなくなったあとも撮影を続け、さらに蹴りまで加えたという。
裁判では、「配信者だから顔に傷をつけようと思った」という趣旨のことも語られた。
お金を取り戻したいだけなら、顔をねらう理由にはつながらない。
そこにあるのは、その人そのものを壊してしまいたいという、ゆがんだ憎悪だ。
命だけでなく、女性が大切にしてきたものまで傷つけようとした。
その憎しみは、すさまじいものだったのだろう。
長い執着とお金のトラブルが、悲劇につながるまで
男は2021年の終わりごろから、女性の配信を見るようになった。
やがて、自分は特別な存在なんだと感じるほどのめり込んでいく。
配信アプリで163万円を使い、さらに生活費などの名目で254万〜255万円ほどを貸したという。
しかも、その一部は消費者金融から借りて用意したお金だった。
返ってきたのは3万円だけで、男は「だまされた」という思いを強めていったという。
ここには、「懲役16年はなぜ重いと言われるのか」の記事でくわしく書いた『お金の問題の苦しさ』がある。
お金を貸した側が、裁判まで起こしても、ほとんど取り戻せなかった。
その流れに同情する人がいるのも、よくわかる。
検察も、亡くなった女性の側にも一定の落ち度があった、と指摘している。
自業自得という面を隠してしまうと、なぜ男に同情が集まったのかも、見えなくなる。
ただ、今回あらためて見たいのは『そのあと男が何をしたか』だ。
男には裁判という手段があり、げんにそれを使ってもいた。
それでも刃物を2本用意し、配信を追って女性を待ち伏せした。
怒りを抱えたままでも、東京へ向かうのをやめる時間は、あったはずだ。
引き返せる場面を、ひとつずつ通り過ぎて、あの路上までたどり着いてしまった。
懲役16年は重いのか?旭川の27年とくらべられる理由
さて、ここから今回の中心である「16年と27年」を考えていきたい。
高田馬場の事件の中身を見れば、16年では軽いと感じるのも、不思議ではない。
そこへ、旭川の27年という数字が並ぶ。
すると、傷の数が多いほうの事件が、なぜ11年も短いのか、という疑問がわいてくる。
では、この二つは、ほんとうに同じものさしで比べられるのだろうか。
「16年でも重い」という意見がある理由
16年でも重い、という意見にはわけがある。
男が罪を認め、謝罪の言葉を口にしていることだ。
それに、事件の前には多くのお金を貸し、返してほしいと裁判まで起こしていた。
たまたま通りすがった相手をねらったのではない。
長く続いたお金のトラブルと、裏切られたという思いがその裏にある。
大事なのは、
- 男のつらさを理解すること
- 刑を軽く見ること
この2つは別だという点だ。
もちろん、検察は今回の犯行を「強い殺意による、とても残酷なもの」と見ていた。
亡くなった女性側の落ち度に触れながらも、仕返しは強く責められるべきだとして、20年を求めた。
弁護側が9年を主張していたことまで考えれば、16年は決して軽く見られた数字ではない、という見方になる。
旭川の27年とくらべる声が広がったわけ
そこでネットでよく比較されているのが、旭川で17歳の女子高生が亡くなった事件だ。
何人もの少年少女がかかわったこの事件で、中心にいたとされるのが、ここで言う「主犯の女」である。
主犯の女たちは、被害者の少女を呼び出し、車のトランクに閉じこめて暴行を加えたという。
橋の上では服を脱がせ、せまい手すりに座らせて、おどしや暴行を続けた。
そして少女は、川へ落ちて亡くなった。
裁判所は、人としての尊厳を踏みにじった残酷で卑怯な犯行だと判断した。
そして主犯の女に、求刑どおり懲役27年を言い渡した。
高田馬場では、一人の男が配信を追って、大人の女性を待ち伏せした。
そして短い時間に、はげしい攻撃を加えた。
旭川では、何人もが未成年の少女を閉じこめ、長い時間をかけて、恐怖とはずかしめを与えた。
どちらも残酷なことに、変わりはない。
少し前までは「20年は求刑で、27年は判決、そもそも比べられない」という声もあった。
でも、高田馬場の判決が16年と出たいまは、どちらも判決どうしで並べられる。
旭川の事件では、検察が懲役27年を求め、裁判所も求刑どおり27年を言い渡した。
いっぽう高田馬場は、求刑20年、弁護側9年で、判決は16年になった。
求刑の時点でも7年あった差は、判決で11年に広がった。
「55か所もの傷があって、そのあとも女性を傷つけた事件で、なぜ16年なのか」。
もし被告の男の事情を知らなければ、高田馬場のほうが11年も短く、軽いと感じてしまうのはわからなくもない。
重い・軽いの対立は、きっとその深さで生まれているのだろう。
裁判所は何を見て刑を決めるのか
日本の裁判では、法律が決めた刑の範囲の中で、事件ごとの事情をあわせて、刑が決められる。
おもに見られる事情をまとめると、こんな感じだ。
- やり方の残酷さ、どこまで計画的だったか、殺意の強さ、相手を辱める行為があったか
- その動機やわけに、同情できる事情がどれくらいあるか
- 本人が罪を認めているか、反省や立ち直りの見込みがあるか
- 被害者の年齢や立場、事件が世の中に与えた影響はどれくらいか
- 仲間がいる場合、誰が引っ張り、どんな役割だったか
高田馬場の事件では、刃物を用意した計画性、配信を使った待ち伏せ、55か所もの傷、そのあとの撮影などが、重い事情になる。
いっぽうで、お金のトラブルの流れや、罪を認めて謝ったことも、判断の材料に入る。
旭川の事件では、少女が17歳だったこと、何人もでの閉じこめと暴行、服を脱がせて撮影したこと、主犯の女が仲間を引っ張ったとされたことなどが、重く見られた。
こうして並べれば、二つの事件で、刑を決める事情が違うことが理解できるだろう。
その違いが、二つの判決に11年の差をつけた理由の、ひとつなのかもしれない。
そう考えると、16年を軽いと感じる声が出るのもわかる。
それが、ただの感情論だとも思わない。
待ち伏せの計画性、55か所もの傷、そのあとの行い。
それでも裁判所が出した答えは、懲役16年だった。
残酷な犯行と、お金のトラブルという背景。
このふたつをそれぞれどう見て16年としたのか、その理由こそが大事になる。
ただ、実際のところは『性別』による見方の違いのような気もするが、その解説についてはまたの機会に譲ろうと思う。