渡部建のトークライブをめぐる騒動は、鬼越トマホーク・良ちゃんの怒りが向かった相手と、実際に出演打診を進めた主体が食い違う展開になった。

鬼越・良ちゃんは渡部建から出演を頼まれ、その後に断られたと受け止めたが、人力舎は渡部本人も事務所も関与していないと説明している。

怒りの土台だった前提そのものが、あとから崩れたのだ。

 

ただし、良ちゃんが何の理由もなく突然怒り始めたわけでもなさそうだ。

出演の話が届き、確認も取れたと聞かされて話を進めたあとで、「出演は難しい」と返されたのだから、不満を抱く流れは理解できる。

問題は、その不満を渡部本人の意思だと決めつけ、過去の不祥事まで持ち出して人格否定へ踏み込んだことではないだろうか。

 

制作側は確認不足と手順の不備を認め、人力舎は渡部の人格を傷つける表現を看過できないと声明を出した。

今回は、三者の説明を順番に整理しながら、なぜ良ちゃんの怒りが支持を失い、渡部への同情に風向きが変わったのかを書いていこうと思う。

渡部建ライブ巡り騒動で食い違った説明

騒動の出発点は、8月22日に開催される渡部建のトークライブ「渡部59秒」の告知を兼ねた、鬼越トマホークのYouTubeチャンネルへの出演打診だった。

制作会社OMIYAGEから直接ではなく、吉本興業の元先輩を通じて良ちゃんへ話が届いたという。

最初から渡部本人と良ちゃんが話したわけではない。

 

ここまでの経緯を時系列で並べると、次のようになる。

  1. 制作側が、トークライブの告知を兼ねたYouTube出演を打診した。
  2. 良ちゃんは個人的には受けたいとしつつ、会社やYouTubeチームへの確認が必要だと返した。
  3. 良ちゃんは意思疎通が取れているかを元先輩に確認し、「打ち合わせ済みで大丈夫」と聞いて話を進めた。
  4. その後、元先輩から「出演は難しい」との連絡が入り、良ちゃんは渡部側に断られたと受け止めた。

ここまでが、良ちゃんの怒りにつながった流れである。

本人からすれば、先に出演を頼んでおきながら、こちらが動いたあとで断ってきたように見えたのだろう。

 

ところが、人力舎の説明は根本から違っていた。

人力舎は、出演打診が渡部本人と事務所の関与しないところで第三者によって行われたとし、渡部が出演を希望した事実も、事務所が了承した事実もないと明言している。

渡部本人が頼み、渡部本人が断ったという前提を否定したのだ。

 

7月10日には、制作側の宮地謙典が「関係各所への十分な確認と適切な手順を怠った」と謝罪し、すべて自分の責任だとした。

良ちゃんだけでなく、渡部建にも迷惑と心配をかけたと認め、出演者側に非はないとしている。

つまり、制作側の謝罪も、人力舎の説明と同じく、渡部本人の意思で話が進んだわけではないという方向を示しているのだ。

ちょっと待て。

じゃあ、いったい誰の依頼だったのか?

良ちゃんへ届いた話は渡部建のライブ告知を目的としていたが、それが渡部本人の希望だったとは確認されていなかった。

そして、良ちゃんへ届いた「出演は難しい」という返事も、誰のどの判断を伝えたものなのかが曖昧なままだった。

この騒動の中心にあるのは、確認のない伝言ゲームである。

確認の空白。

その空白を、それぞれが相手の意思だと思い込んだことで、仕事の行き違いが人格攻撃へ変わってしまったのである。

良ちゃんの怒りが支持されなかった理由

依頼を受けた側が、途中で話をひっくり返されたように感じれば、腹が立つのは無理もない。

その、鬼越・良ちゃんの不満には理解できる入口があった。

しかし、事実確認より先に渡部本人を攻撃し、さらに過去の不祥事まで持ち出したことで、その入口を自分で塞いでしまった。

制作手順への正当な疑問より、渡部への悪意のほうが目立ってしまったのである。

おーい、やっちまったなぁ!

 

①渡部本人が依頼した前提が崩れた

良ちゃんの批判は、渡部建が後輩に出演を頼み、その後で相手を値踏みするように断ったという理解から始まっていた。

投稿では「後輩値踏み」という言葉を使い、渡部が元先輩を盾にして逃げたという趣旨で強く責めている。

もし本当に渡部本人が依頼し、相手を動かしたあとで理由も示さず断ったのなら、仕事の進め方として疑問を持たれても仕方がない。

しかし、人力舎は渡部の関与と出演希望を否定し、制作側も確認不足を認めた。

その説明に立てば、良ちゃんが批判した「渡部の行動」そのものが存在しなかった可能性が高くなる。

怒りが強いほど、前提が崩れたときの反動も大きい。

 

良ちゃんは間接的な連絡を受けた側であり、制作側の不備に巻き込まれた面がある。

それでも、渡部本人に確認しないまま公開の場で断定したのは、良ちゃん自身の判断だったので、もうどうにも止まらない。

確認不足の被害を受けた人が、別の確認不足で相手を傷つけてしまう。

なんとも皮肉な怒りの空回りである。

 

②過去の不祥事を再び持ち出した

良ちゃんの投稿が厳しく見られた大きな理由は、今回の出演打診だけでなく、渡部建の過去の不祥事を攻撃の根拠にしたことだ。

「あんな事しといて」という言葉を置き、「反省ビジネスの守銭奴」とまで表現した。

今回のやり取りへの不満を語るだけなら、出演打診の経緯と返答の仕方を問題にすれば足りたはずである。

過去を持ち出した瞬間、批判の対象が行動から人間そのものへ広がった。

 

渡部が過去に起こした問題をどう評価するかは、人によって違うだろう。

再起へ向けた活動を応援する人もいれば、まだ納得できない人もいる。

その違いまで無理にそろえる必要はない。

ただ、過去に問題を起こしたことは、今回していない行動までしたことにして責めてよい理由にはならない。

それとも、それは芸人のお約束というものなのだろうか。

 

人力舎が強く反発したのも、事実と異なる内容だけでなく、渡部の人格を著しく傷つける表現が繰り返されたからだった。

過去の失敗は、事実確認を省くための通行証ではない。

そこを混ぜてしまえば、正しい批判までただの制裁に見えてしまうし、そもそもそれをお笑いに変えるのが芸人ではないのか。

 

③不満より人格否定が目立ってしまった

鬼越・良ちゃんは投稿で、渡部へ次のような言葉を向けた。

  • 「ゴミ」「クソが」
  • 「反省ビジネスの守銭奴」
  • 「血通ってないじゃん芸人として」

もともとの不満は、出演を打診したあとで断るなら、筋の通った説明をしてほしいという話だったはずである。

ところが、あれだけ強い言葉を重ねれば、読んだ人の目は経緯よりも言葉の乱暴さへ向かう。

 

ネットでも、良ちゃんの言い方は限度を超えている、人格否定はやり過ぎだという反応が目立った。

一方で、渡部の不誠実さを疑う気持ちはわかるが、方法がよくないという声もあった。

それとも、これが喧嘩芸というものなのかもしれないが、一般ピーポーが笑えてないんだから仕方がない。

この時の空気感はふわちゃんとやすこの騒動の時とちょっと似ているかもしれない。

 

念のためいっておくと、これは良ちゃんの不満がまったく理解されなかったという話ではない。

理解されかけた不満を、強すぎる言葉が押し流したのだ。

喧嘩芸だから強く言ったという見方はできる。

しかし、芸風という看板を掛ければ、事実確認前の人格否定まで全部笑いになるわけではない。

人力舎が名指しで声明を出すところまで進んだ以上、少なくとも相手側には芸として届かなかった。

笑いのつもりだったかどうかより、何が相手に届いたか。

今回届いたのは、制作手順への抗議ではなく、渡部という人間への攻撃だったのだから始末が悪い。

直接話さなかった代償は誰が払うのか

この騒動では、制作側が責任を認めて謝罪した。

だからといって、声明を一つ出せば、広がった言葉まで元に戻るわけではない。

確認を省いた代償は、三者それぞれに残ってしまった。

 

残された三つの傷。

渡部には、自分が関与していない出演打診を理由に、過去の不祥事を蒸し返され、人格まで傷つけられた痛手が残った。

人力舎が「到底看過できるものではありません」と強い言葉を使ったのも、渡部が反論しにくい立場だからこそ、事務所が線を引く必要があると判断したのだろう。

過去に問題を起こした人は、現在の事実と違う批判にも黙って耐えなければならないのか。

そんな決まりはない。

 

良ちゃんには、本人への確認前に攻撃したという印象が残った。

制作側の手順に問題があったとしても、渡部へ向けた言葉を選び、公開したのは良ちゃん自身である。

不満を抱いたことと、その不満をどんな言葉で誰へぶつけたかは、分けて考えなければならない。

怒る権利があっても、間違った相手を傷つける権利まではない。

 

制作側には、仕事の基本である確認と手順を軽く扱ったのではないかという不信が残った。

渡部のライブ告知という目的があっても、渡部本人と事務所の了承がないまま出演交渉を進めれば、受けた側は当然「渡部からの依頼」だと理解しやすい。

そこでさらに元先輩を介したことで、誰の言葉なのかが見えにくくなった。

ずいぶん危うい伝言ゲームだったと言わざるを得ない。

 

誰か一人だけを悪者にすれば話は簡単になるが、それでは同じことがまた起きる。

制作側の確認不足、良ちゃんの早すぎる断定、SNSで増幅された人格攻撃は、別々の問題として見たほうがいい。

最初に当事者同士で確認していれば、ここまで誰も傷つかなかった。

仕事の話ほど、面倒でも本人と所属先へ確認する。

そんな当たり前の手順が、いちばん人を守るのかもしれない。

今後、良ちゃん側からどのような説明があるのか気になるところだ。

過去の失敗は何度でも責めてよいのか

もうちょっと書きたい。

今回の話で、渡部建の過去を許せるかと聞かれれば、答えは人それぞれである。

過去の問題で傷ついた人がいる以上、時間がたったから全員が許すべきだと押しつける話でもない。

その一方で、許していない人なら今回の事実まで自由に作り替えてよい、という話にもならない。

過去の評価と、今回の事実は別のものだ。

 

今回の騒動で、渡部への同情が目立ったのは、渡部の過去が消えたからではない。

渡部が出演を頼んだ事実も事務所が了承した事実もないと説明されたのに、過去を理由に人格まで攻撃されたからである。

一度問題を起こした人なら、何を言われても仕方がない。

そんな空気が通ってしまえば、批判は事実から離れ、ただの見せしめに変わっていく。

 

仕事で失敗した人、家族との関係を壊した人、言ってはいけないことを言った人にも、過去と向き合いながら生き直す時間は続いていく。

もちろん、反省していると言えばすべて帳消しになるわけではない。

けれども、過去に問題がある人ほど、現在の事実は正確に扱われるべきだ。

 

そうしなければ、本当に批判すべき行動と、嫌いな人を傷つけるための言葉の区別がつかなくなる。

良ちゃんが制作側の手順に疑問を呈するだけなら、今回とは違う受け止められ方になったはずである。

渡部を「ゴミ」と呼び、過去の不祥事を重ねたことで、制作側の確認不足という本来の問題がかすんでしまった。

批判の強さが、批判の正しさを証明してくれるわけではないのだ。

 

誰かを責めたくなったときほど、まず本人が何をしたのかを確かめる。

又聞きの話なら、誰の意思がどこまで確認されているのかを確かめる。

過去の印象が判断に混ざっていないかも、一度立ち止まって考える。

事実確認は、批判される人だけでなく、批判する人自身も守る。

 

良ちゃんの怒りに理解できるところがあったからこそ、確認前の断定と人格否定で説得力を失ったのは惜しい。

そして渡部には、今回していないことまで過去と結びつけて責められた痛みが残った。

失敗した人をどう見るかは自由でも、していないことまで背負わせてはいけない。

人を批判するときほど、事実に忠実でありたい。

今回の食い違いがどのように整理されるのか、今後の続報にも注目したいと思う。