岩手県滝沢市のホテルで、ハムスター25匹を踏み潰して殺したとして、県立宮古水産高校の職員の男と19歳の女が逮捕され、7月30日、盛岡地検が男を動物愛護法違反の罪で起訴した。

起訴状などによると、二人は2026年2月16日の午後4時半ごろから午後9時半ごろまでの間、滝沢市内のホテルの一室で共謀し、愛護動物であるハムスター25匹を足で踏み潰すなどして殺したとされる。

その様子はスマートフォンで撮影され、複数本が記憶媒体に保存されていたという。

逮捕時の報道で「20数匹」とされていた数は25匹と特定され、伏せられていた殺害方法までニュースとして報じられることとなった。

小さな命が数多く奪われたという話だけでも重いのに、二人でそれを行い、映像まで残していたという。

 

このニュースを見て、怒りだけでは片づけられない気味の悪さが、どうも残ってしまう。

僕がとりわけ怖いと感じたのは、逮捕された男性が、社会から離れて暮らしていた人物ではなく、県立高校で普通に働いていた職員だったことだ。

日常的に子供の近くにいた人間へ重大な容疑がかけられた事実が、学校への信頼まで揺らしている。

もちろん、二人の認否は明らかにされておらず、判決が出たわけでもない。

それを承知のうえで、今回はこの事件のどこに強い嫌悪を覚えたのか、順番に見ていこうと思う。

宮古水産高校職員逮捕で揺らいだ信頼

岩手県警は7月10日、動物愛護法違反の疑いで、宮古市に住む36歳の男と、住所不定で無職の19歳の女を逮捕した。

男は2022年4月に採用され、県立宮古水産高校の実習船「りあす丸」で、生徒や職員の食事をつくる司厨員として働いていた。

これまで勤務態度に問題はなかったと報じられている。

 

ここで正確にしておきたいのは、この男は教師ではなく、県立高校の職員だという点である。

ネットでは「学校の先生が」と受け止める反応も出ているが、報道された肩書きを別のものへ変えてしまえば、事件を見る土台そのものがずれてしまう。

ただし、教師ではないから学校と無関係という話にもならない。

実習船で生徒や職員へ食事を提供する仕事なら、生徒と関わる教育現場の一員であり、学校の名前と信用を背負う立場だったと言える。

 

なお、ネットでは「学校で飼っていた動物を使ったのではないか」という見方も出ていた。

だが、動物問題に取り組む団体が岩手県へ情報公開請求をしたところ、同校で飼育されている動物が分かる文書は存在しない、という回答だったという。

県の正式発表ではないので断定はできないが、少なくとも、生徒が世話をしていた動物が巻き込まれた話ではなさそうだ。

行為があったとされるのは、ホテルの一室という完全に私的な空間である。

 

とはいえ、それで学校の信頼が無傷で済むわけではない。

学校とは、子どもを安心して預け、知識だけでなく命や他者への向き合い方も学ぶ場所である。

そこに勤める大人へ、抵抗できない小動物を25匹殺した疑いがかけられたのだから、生徒や保護者が受ける衝撃は小さくない。

「普段はどんな顔で働いていたのだろう」と考えてしまうのも無理はないだろう。

人は制服や職場、勤務中の受け答えを手がかりに、目の前の相手を信頼して暮らしているからだ。

 

岩手県教育委員会は事実関係を聞き取り、処分を検討しているとされる。

学校は6月2日に警察から連絡を受け、6月下旬から予定されていた約1か月の実習船航海に、この男を乗船させなかった。

7月10日夜には県教育委員会が臨時記者会見を開き、今回の逮捕について陳謝している。

逮捕直後の段階で学校側に説明できることは限られるかもしれないが、素知らぬ顔で時間が解決するのを待てる話でもない。

学校には捜査と切り分けたうえで、生徒と保護者の不安に向き合う説明が求められる。

 

さらに、この学校で職員が逮捕されたのは、今年に入って二人目だとされる。

1月にも別の職員が、性的暴行の疑いで逮捕されている。

種類のまったく違う事件ではあるが、半年のうちに二度、同じ学校の名前がこの形で表に出たことになる。

一度なら「その人個人の問題」で説明できても、二度目からは見る目が変わってしまう。

一人の職員にかけられた容疑は、本人だけでなく、同じ場所でまじめに働く人たちが積み上げてきた信用まで傷つけてしまうものなのだ。

二人が行った3つの残酷さ

この事件の悪質さは、「25匹」という数だけでは語りきれない。

警察の発表と起訴の内容から見えてくるのは、

  • 抵抗しにくい小動物を対象にしたこと
  • 二人で止め合わなかったこと
  • その様子を動画として残したこと

の三点である。

一つずつ切り分けると、強い嫌悪が生まれた理由が見えてくる。

 

①抵抗できない小動物を標的にした疑い

ハムスターは人の手の中に収まるほど小さく、自分で助けを呼ぶことも、広い場所へ逃げ切ることも難しい。

そんな存在が25匹も対象になった疑いを聞けば、多くの人が自宅で飼う小動物や、かつて一緒に暮らしたペットを重ねてしまう。

 

体の小ささは、命の軽さを意味しない。

 

起訴状によると、殺害の方法は「足で踏み潰すなどして」とされている。

逮捕時には伏せられていた部分が、起訴の段階で明らかにされた。

これ以上を想像で足す気にはならないが、この一言だけで、行為の一方的な残酷さは十分すぎるほど伝わってしまう。

手のひらに乗るような生き物を、大人が足で踏んだということなのだから。

いやいや、25匹に及んでもなお立ち止まらなかったのだとすれば、そこに感じる恐ろしさは数以上に大きい。

ネットで「次は別の動物や人へ向かうのではないか」という不安の声も出ていたが、わからなくもない。

ただ、現時点で別の加害や今後の行動まで決めつける根拠はないので、確認できる事実から離れず、それでも弱い命を狙った疑いの重さは曖昧にしない。

この二つを同時に守る必要がある。

 

②二人とも行為を止めなかった不可解さ

一人の行為なら、その人物の衝動や判断の崩れだけを考えることもできる。

今回、警察は36歳の男性と19歳の女が共謀した疑いを示しており、そこには別の不気味さを感じてしまう。

二人いるのに、どちらからも止める力が働かなかったという不可解さ。

ただでさえ異常な行為なのに、それがたまたまエンカウントすることがあるのだろうか。

 

その答えらしきものが、起訴の内容から見えてくる。

二人はSNSで、犯行の日時などを連絡し合っていたというのだ。

その場の空気で転がった話ではなく、日を決め、場所を決めて集まったことになる。

 

そのうえ、犯行があったとされるのは午後4時半ごろから午後9時半ごろまで。

およそ5時間だ。

一瞬の暴発なら、まだ「歯止めが利かなかった」という説明もできなくはない。

だが5時間は、我に返るきっかけが何度も訪れたはずの長さである。

 

普通なら、どちらかがためらう、拒む、その場を離れる、誰かへ知らせるといった場面があってもおかしくない。

しかし、報道された容疑は、二人が同じ方向へ進んだというものだった。

SNSで知り合ったとされる二人が、そろってブレーキがイカれている。

そう考えると背筋がヒヤッとするが、二人の詳しい関係や、どちらが主導したのかは公表されていない。

19歳の女が年上の男性に従ったのか、二人が同じ欲求を共有していたのか、それとも別の事情があったのか。

いま挙げたどれも可能性にすぎず、事実として書ける段階ではないが、不可解で薄気味悪い気分にさせられてしまう。

 

③虐待の様子を記録に残した異常さ

そして、この事件で最も気味が悪いと感じるのは、虐待の様子を動画で撮影していた疑いである。

撮影した目的や、その映像を誰かへ見せたのかどうかは明らかになっていないが、それでも苦しむ命を前にカメラを向けたという行為自体が、殺害とはまた別の嫌悪を生んでしまうのだ。

 

映像に残せば、その出来事は一度きりで終わらず、あとから見返したり、別の場所へ移したりできる記録になる。

人の苦しみや動物の命が、スマートフォンの中で保存できるデータへ変わってしまうわけだ。

目的が分からなくても、そこまでして残す必要がどこにあったのかという疑問は消えない。

 

問題は、記録したあと。

過去には、韓国でハムスターへの虐待が生配信されたとされる事件や、日本でもハムスターを傷つける動画がネットで炎上した事例があった。

これらは映像を公開した事例であり、今回の動画が公開されたと確認されているわけではない。

それでも共通しているのは、弱い命への加害が映像になった瞬間、行為が見世物や所有物のように見えてしまう点である。

 

弱きものへの加害をあとから見返す。

そこにいったい何を感じるというのだろうか。

そんな彼らがちゃんと更生できるのだろうかと心配にもなる。

 

逮捕後、この点に改めて注目が集まり、「簡単に世に放たれるのではないか」と危惧する声も出ている。

ハムスター25匹の命を奪い、その様子を動画に残した疑いまであるのに、「相手が動物だから」という理由で軽く扱われるとしたら、あまりにもやりきれない。

これだけの命を奪った疑いがある行為を、軽い処分で終わらせていいのだろうか。

そんな憤りを覚える人が多いのも、無理はないと思う。

 

動物愛護法では、愛護動物をみだりに殺傷した場合、5年以下の拘禁刑または500万円以下の罰金と定められている。

しかし、過去には罰金や執行猶予となった事例もあり、「今回も結局、軽い処分で済んでしまうのではないか」という不信感が重なっているのだろう。

命を奪われた側からすれば、ハムスターも犬も猫も関係ない。

体が小さいからといって、奪われた命まで小さく扱われていいはずがない。

 

ただし、この不安については、その後に動きがあった。

盛岡地検は7月30日、この男を動物愛護法違反の罪で起訴している。

罰金を納めて終わりではなく、法廷で審理される道へ進んだということだ。

それでも、これほど異様な行為をした疑いのある人間が、十分な検証もないまま日常へ戻ってくるのではないかという不安は、そう簡単には消えない。

その感情まで「まだ判決が出ていないから」と片づけるのは、少し違う気がする。

世間が求めているのは感情任せの私刑ではなく、行為の重さに見合った捜査と判断である。

司法には、なぜこれほど多くの人が怒りと恐怖を覚えているのかまで、しっかり受け止めてもらいたい。

 

ただ、皮肉なことに、動画は加害の疑いを深める材料になる一方、捜査で事実を確かめるための記録にもなり得る。

悪魔に手をかけられてしまったハムスターたちが不憫でならないし、二度とこんなことが起きないようにしっかりと裁きを受けてもらいたい。

ハムスター25匹で起訴された異例さ

今回の起訴について、動物の法律に詳しい弁護士がSNSでこんな指摘をしていた。

ハムスターが被害動物で、公判請求まで至った例は聞いたことがない、というのだ。

 

動物愛護法違反として報じられる事件は、犬や猫が被害にあったものがほとんどだ。

しかも処分は、罰金や執行猶予で終わる例が少なくなかった。

そこへ、ハムスターの事件が正式な起訴として法廷へ持ち込まれた。

「小さい生き物だから、どうせ大ごとにはならない」という空気に、検察が乗らなかったということである。

 

逮捕直後、ネット上にあふれていたのは「どうせ軽い処分で終わる」という諦めだった。

僕もその気持ちは分かる。

その予測は、少なくとも起訴という段階までは外れたことになる。

この一点だけは、正直、救いだと思っている。

 

もっとも、起訴は判決ではない。

量刑がどうなるかは、これから法廷で決まる。

そこで軽い判決が出れば、「やはり動物だからか」という不信は、前より強い形で戻ってくるだろう。

 

一方、共謀したとされる19歳の女は、同じ日付で盛岡家庭裁判所へ送致された。

19歳は少年法の対象なので、手続きは家裁が引き取る形になる。

ネットでは「こっちは名前も出ないのか」という声も出ているが、審判の内容は原則として公開されない。

同じ部屋にいたはずの二人が、片方は公開の法廷、片方は非公開の審判へ分かれるわけだ。

共謀したとされる以上、女の側で何がどう判断されたのかも、本当は知りたいところである。

 

ただ、公判が開かれるということは、これまで一切公表されてこなかった動機が、法廷で語られる可能性があるということだ。

なぜハムスターだったのか。

なぜ撮ったのか。

そして、なぜ二人だったのか。

この事件で一番気味の悪い部分が、そこで初めて説明されるかもしれない。

聞きたいような、聞きたくないような話ではあるが、同じことを繰り返させないためには、そこが明らかにされる必要がある。

第三者の通報が守った次の小さな命

今回の捜査は、第三者から寄せられた「動物虐待を繰り返している」という情報提供を端緒に始まり、警察は他にも余罪があるとみて調べている。

密室で行われる動物への加害は、被害を受けた動物自身が助けを求められないぶん、外から情報を届ける人の存在が大きい。

誰かが見て見ぬふりをしなかったことで、捜査が始まったことは不幸中の救いというものだ。

その通報は、さらに被害に遭ったかもしれない次の小さな命を守る一手になったと言える。

 

教育関係者による動物への加害が問題になったのは、今回が初めてではない。

2015年には、千葉県立高校の教諭が子猫を生き埋めにし、生徒に穴を掘る作業を手伝わせた事例があった。

今回の男性職員は教師ではなく、生徒を行為へ関わらせたと報じられてもいないため、二つの事件を同じものとして扱うべきではない。

それでも、教育現場にいる大人の加害が、学校への信頼まで傷つける構図は重なる。

子どもは、学校にいる大人の肩書きを細かく分けて見ているわけではない。

先生、職員、船員という職種の違いよりも、「学校にいる大人」として受け止める子どもは多いだろう。

だからこそ、学校側には処分の検討だけでなく、生徒が抱える不安や不信へどう向き合うかが問われるのだ。

 

大人の行為によって、子どもが学校全体を信じられなくなるようなことは避けなければならない。

事件に触れた直後は、怒りの言葉をぶつけたくなる。

僕も厳しい処罰を求めるネットの反応を見れば、その気持ちが出てくる理由は分かる。

しかし、怒りを投稿して終わるだけでは、密室にいる次の動物までは守れない。

必要なのは私刑ではなく、小さな異変を情報として届けることだ。

今回の通報者が何を見聞きしたのかは明らかにされていないが、その人が黙っていれば、事件の発覚はさらに遅れたかもしれない。

動物は「助けて」と警察へ駆け込めない。

だから、周囲の人が異変を軽く扱わず、関係機関へ伝えることには意味がある。

 

通報が結果的に誤解だったとしても、確かめるのは捜査機関の仕事であり、個人がネット上で犯人捜しをする話とは違う。

今回の滝沢市のハムスター虐待に怒りを覚えるのは、我々の中に「守るべきものを守りたい」という感覚が残っているからだと思う。

その感情を一日だけの怒りで終わらせず、異変を見過ごさない目へ変えていきたい。

声を上げられない命の代わりに、気づいた人が声を届ける。

認否も動機も、動画を撮った目的も、まだ何ひとつ表に出ていない。

県教委の処分や、余罪の有無もこれからだ。

それらが法廷で語られたとき、僕らはこの事件をもう一度、別の角度から見ることになるのかもしれない。