選挙が近づくと、政治家のSNSに突如登場するのが「庶民をアピールした投稿」である。

カップ麺をすする写真、スーパーで買い物をする姿、立ち食いそば店で昼飯を食うショット。

まるで「ほら、私も皆さんと同じなんですよ」と言わんばかりの、あの独特な空気感。

見ているこちらが恥ずかしくなるような、あのわざとらしさ。

「普段そんな生活してないでしょ?」と善良なる有権者の皆さんにツッコまれて無事炎上

さすがにちょっと国民を馬鹿にしてやしないか。

 

正直なところ、彼らの気持ちもわからなくはない。

選挙というのは究極の人気投票であり、「この人に任せたい」と思ってもらわなければ話にならないからだ。

親しみやすさを演出したい、庶民感覚を持っていることをアピールしたい。

その気持ちは理解できる。

できるのだが、やり方がどうにも下手くそすぎるのである。

 

たとえば会社の上司が、急に「俺も若い頃は金なくてさ〜」と言い出したらどう思うだろう。

しかもその上司は毎日タクシー通勤で、ランチは個室のある店ばかり。

「へえ、そうなんですか」と相槌を打ちながら、心の中では「で?」と思うのが普通の反応じゃないですか。

政治家の庶民アピールというのは、まさにこれと同じ構造なのである。

 

その一方で、なぜ毎回この庶民アピールが止まらないのか。

おそらく、どこかの選挙コンサルタントが「SNSで親しみやすさを出しましょう」とか言っているのだろう。

あるいは後援会のおばちゃんが「先生、もっと庶民的なところを見せないと」とアドバイスしているのかもしれない。

そして素直に従った結果がこの惨状である。

今回は、そういった庶民アピールする政治家たちの「浅ましさ」の正体を解き明かしていこうと思う。

政治家の庶民アピールが炎上

2026年衆院選(1月27日公示、2月8日投開票)で物議を醸した政治家たちを振り返ってみたい。

投票日に向けて各党の投稿が活発化する中、駅前での街頭演説も増え、有権者の反応は真っ二つに分かれている。

特に北海道や東北では大雪による渋滞で街宣車が遅れ、屋内集会が増加しているという。

首都圏ではJR駅前演説で人混みが発生し、受験生への騒音配慮を求める声も上がっている状況だ。

 

まずは日本維新の会の佐々木りえ氏

彼女は衆院選で大阪8区候補の応援中に、ペヤングを「流し込み」食べる動画を投稿した。

忙しい選挙活動の合間を縫って、庶民的な食事で乗り切っている姿をアピールしたかったのだろう。

その意図はわかる。

わかるのだが、問題はその「流し込み」という表現だ。

「時間がないなら投稿する暇もないのでは?」と冷ややかな反応が相次いだ。

そりゃそうである。

本当に時間がなければ、動画を撮影して編集してキャプションを考えて投稿する余裕などないはずだ。

「時間がない」と言いながら、その「時間がない様子」を丁寧に記録して発信している矛盾。

これを見た国民が「なんだかなあ」と思うのは当然の帰結だろう。

次に、社民党党首の福島みずほ氏

彼女はスーパーで買い物をする写真を投稿した。

庶民的な買い物シーンを見せたかったのだろう。

「私も普通に買い物するんですよ」というメッセージなのだと思う。

だが問題は、その直前に「高市政権は庶民を切り捨てている」と批判していたことである。

「庶民の生活を守る」と声高に叫んでおきながら、自分はにっこり微笑んで買い物写真を投稿している。

「自分も演じているだけでは?」というブーメランが見事に返ってきた。

政治家が庶民を語るとき、その言葉は常に自分自身にも向けられるということを忘れてはいけない。

福島氏の場合、批判の刃が自分に返ってくることを想像できなかったのだろうか。

いや、おそらく想像すらしていなかったのだと思う。

それが問題なのである。

そして自民党の萩生田光一氏

彼の場合はもっと複雑だ。

富士そばで天玉そばをすする写真を投稿し、生配信前の腹ごしらえエピソードを添えた。

スーツ姿で庶民的な立ち食いそばを楽しむ姿。

イメージ戦略としては悪くない。

悪くないのだが、彼には致命的な問題があった。

2,728万円の政治資金不記載、いわゆる「裏金問題」の当事者だったのである。

前回の選挙では非公認にまで追い込まれた人物が、今度はそばで親しみやすさをアピールしている。

「そばで誤魔化せると思っているのか」という声が続出したのも無理はない。

しかも、富士そばのような立ち食いそば屋で紙エプロンをする人はほとんどいないのに、わざわざ黒の紙エプロンを着用して撮影。

ネクタイやスーツを汚さないための高級志向が透けて見え、かえって庶民離れを感じさせる。

黒の紙エプロンで穴だらけの政治資金報告書を隠せると思ったのだろうか。

もしそう思っていたのなら、有権者を舐めすぎである。

三者三様ではあるが、共通するのは「選挙直前に突然、庶民的な日常をアピールし始めた」という点だ。

学園祭の前日に急に優しくなるクラスメイトみたいで、下心が透けて見える。

「あ、この人いま票が欲しいんだな」と誰もが気づいてしまう。

その安直さが、余計に白けさせるのである。

政治家の庶民アピールが嫌われる理由

なぜ私たちは政治家の庶民アピールにこれほど不快感を覚えるのか。

SNSのコメント欄やヤフコメを眺めていると、共通した「怒りのツボ」が見えてくる。

単なる悪口ではない。

そこには、ある種の「舐められてる感」のようなものが漂っている。

庶民的な活動でアピールする政治家イメージ

①普段の贅沢な生活とのギャップが激しい

政治家の多くは、普段から国民とはかけ離れた生活を送っている。

高級車での移動、秘書を従えての食事会、政務活動費で賄われる出張。

別にそれ自体は悪いことではないのかもしれない。

国を動かす仕事をしているのだから、ある程度の待遇は必要だろう。

庶民と同じ生活をしろとは言わない。

 

問題は、選挙期間中だけ急に「庶民の味方」に変身しようとすることである。

昨日まで高級レストランで会食していた人が、今日は屋台のラーメンを「美味しい!」と絶賛している。

先週は料亭で懐石料理を食べていたのに、今週は牛丼チェーンで「やっぱりこれだね」と親指を立てている。

この落差に、私たちは「イラッ!」とする。

 

心理学ではこれを「認知的不協和」と呼ぶらしいが、簡単に言うと、二つの矛盾する情報を同時に処理しようとするとき、人間はストレスを感じるようにできているらしい。

「この人は金持ち」という情報と「この人は庶民派」という情報。

この二つが同時に存在すると、脳がストレスを感じるのだ。

そして多くの場合、私たちは「新しく入ってきた情報」を疑い、「以前から知っている情報」を信じる傾向がある。

結果として「どうせ嘘だろう」「選挙用のポーズだ」という結論に至る。

これは政治家が悪いとか国民が疑り深いとかいう話ではなく、人間の脳の仕組みとしてそうなっているのである。

 

②政策の議論を避けるための「目くらまし」

もう一つ、多くの人が感じているのは「本題から目を逸らそうとしている」という疑念だ。

物価高騰、年金問題、少子化対策、防衛費増額、移民政策…。

議論すべきテーマは山のように積み上がっている。

なのにSNSを開けば、政治家たちはカップ麺の話をしている。

そばの話をしている。

買い物の話をしている。

たしかに「私も苦労した時代がありました」という個人的なエピソードは、確かに親近感を抱かせる効果があるのかもしれない。

「へえ、この人も昔は大変だったんだ」と思う人もいるだろう。

だが、それは政策の代わりにはならない。

昔苦労したことと、今の政策を説明することは全く別の話である。

むしろ、苦労話を聞けば聞くほど「じゃあその経験を、どう政策に活かすの?」という疑問が湧いてくる。

カップ麺を食べた経験があるなら、なぜ食料品の価格高騰対策を打ち出さないのか。

いま、物価の上昇がすごいぞ?

庶民にとって財布へのダメージでかすぎる。

庶民の苦しみを知っているなら、なぜ消費税の軽減措置を議論しないのか。

過去の苦労と現在の行動が繋がっていないから、余計に白々しく見えるのだ。

アピールするなら、せめてそのアピールと政策を紐づけてほしい。

それすらできないなら、黙って政策を語った方がまだマシまである。

 

③有権者の生活苦を「演出」の道具にしている

おそらくこれが最も根深い不快感の源泉だと思う。

私たちの日常生活そのものが「票集めの道具」にされている感覚。

これが一番腹立たしいのではないだろうか。

本当に生活に困っている人にとって、カップ麺は「アピール」の対象ではない。

給料日前にどうしても予算が足りなくて、仕方なく選ぶ選択肢だったりする。

スーパーで野菜を手に取るのは、家計のやりくりを考えながら一円でも安いものを探す真剣勝負だったりする。

それを政治家が「ほら、私も同じですよ」とSNSで発信する姿を見ると、馬鹿にされているような気持ちになる。

「本物の庶民はアピールなんてしない」という言葉がSNSで広く共感を集めている。

これは本当にその通りだと思う。

私たちは日々の暮らしを必死に生きているだけであって、それを「演出」した覚えはない。

カップ麺を食べることを誰かに見せようと思ったこともない。

にもかかわらず、その生活スタイルを選挙用の衣装のように纏う政治家の姿は、どうしても「浅ましい」と映ってしまう。

彼らにとっては「親しみやすさの演出」かもしれないが、私たちにとっては「日常の搾取」なのである。

庶民アピールから復活した小泉進次郎

ここで一つ、興味深い事例を紹介したい。

小泉進次郎防衛大臣の「変化」についてである。

彼の軌跡は、庶民アピールの功罪を考える上で非常に示唆に富んでいる。

小泉進次郎氏もかつては庶民アピールで痛い目を見た政治家の一人だった。

牛丼チェーン店での食事写真をSNSに投稿し、「選挙前だけ庶民派ぶっている」と散々叩かれた過去がある。

環境大臣時代の「セクシー発言」と相まって、「中身がない」「何を言っているかわからない」という評価が定着していた。

2025年の総裁選でも3位に終わり、一時は「終わった政治家」という声すらあった。

 

ところが防衛大臣就任後、彼の発信スタイルは大きく変わった。

自衛隊基地を精力的に視察し、隊員やその家族との交流を積極的に発信するようになった。

「お父さん、お母さんは凄いんだよ」と自衛隊員の子供たちに語りかける動画は、多くの共感を呼んだ。

内閣府の世論調査(2026年1月9日発表)では、自衛隊への好印象が過去最高の93.7%に達した。

これを「覚醒」と評する声も出てきている。

もちろん「これもパフォーマンスでは」という冷ややかな見方も根強い。

「防衛費増額のための布石だろう」「自衛隊を利用したイメージ戦略」という指摘もある。

環境大臣時代のことを覚えている人は「本当に変わったのか?」と疑っているだろう。

その疑念は完全には払拭されていない。

だが一つ言えることがある。

小泉氏が評価を上げているのは、「庶民アピール」をやめたからではないか、ということだ。

牛丼を食べる写真ではなく、防衛大臣として現場を回る姿。

「私も庶民です」という自己申告ではなく、職務を通じた行動で示す姿勢。

この変化が、少なくとも一部の人々には「誠実さ」として映っているのかもしれない。

 

彼が賢かったのは、「庶民と同じ」を演じることをやめて、「政治家にしかできないこと」を見せ始めたことだ。

自衛隊の現場を回り、隊員の声を聞き、その様子を発信する。

これは一般国民にはできないことである。

だからこそ、見ている側も素直に「へえ、こういうことをやっているんだ」と思える。

「私も同じ」という嘘臭い同調ではなく、「私はこれをやっています」という仕事の報告。

この違いは大きい。

高級車に乗りながらコンビニのおにぎりを食べる政治家イメージ

結局のところ、有権者が見ているのはパフォーマンスではなく「結果」なのだと思う。

カップ麺を食べようがそばを頬張ろうが、それで政策が良くなるわけではない。

逆に言えば、高級レストランで食事をしていても、国民のための政策を実行していれば文句を言う人は少ないだろう。

私たちは別に、政治家に「庶民と同じ生活」を求めているわけではない。

求めているのは「庶民のための政治」であり、それは生活スタイルとは全く別の話なのだ。

 

「本当の庶民はアピールしない」という言葉の裏には、「本当の政治家は結果で示す」というメッセージが込められているような気がする。

庶民を演じる暇があったら、庶民のために働いてほしい。

それが多くの有権者の本音ではないだろうか。

次の選挙でまた同じような投稿を見かけたら、そっと画面をスクロールするのも一つの選択肢かもしれない。

あるいは、その政治家が普段どんな政策を訴えているのか、調べてみるのもいいだろう。

カップ麺の写真より、政策の中身を見る。

それが、庶民アピールに踊らされないための一番の方法なのかもしれない。