『みいちゃんと山田さん』の作者・亜月ねねが7月31日に出したポストが、いま大変なことになっている。

内容は「ダイアナというアカウントと私は別人です」という訂正だ。

これに対するネットの反応は、ほぼ一色だった。

「バレバレの嘘をついている」

証拠のスクリーンショットが次々と貼られ、擁護の声はかき消されていった。

ただ、当時の記録を調べていくと、そう単純な話でもなかったのだ。

『別人です』に殺到した矛盾の指摘

まず、何が起きたのかを整理しよう。

アニメ化の発表以降、作者の周辺には「作品は作者の実体験だ」「作者は女衒だ」といった書き込みが飛び交っていた。

そもそもの炎上のきっかけについては、前回の記事で詳しく書いている。

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女衒(ぜげん)というのは、女性を夜の仕事へ売り渡す者を指す古い言葉で、作家に向けるにはかなりヘヴィーな言葉となる。

それを受けて出されたのが、今回の訂正だった。

要点をまとめると、こうなる。

  • ダイアナというアカウントと自分は別人
  • 2024年2月まで、依頼を受けて漫画を寄稿していた
  • アカウントの運営も、漫画の原作(台本)も担当外
  • 自身にパパ活や性風俗、キャバクラの経験はない

これが火に油を注いだ。

 

というのも、ダイアナと亜月ねねを結びつける材料が、いくらでも残っていたのである。

  • 商業化される前の単行本は「ダイアナ」名義で出ていた
  • 本人が2023年に「ダイアナ名義で描いてた漫画をリメイクしたい」と投稿していた
  • 知人が本人を「ダイアナの中の人」として紹介した投稿が残っていた

とくに強烈だったのが、商業化前の表紙画像を並べたこの指摘だった。

現物の表紙を出されると、さすがに分が悪い。

正直、僕も最初は「これは苦しいだろう」と思った。

疑いの目を向けたくなるのも、無理はない。

ただ、当時の記録を掘っていくうちに、少し話が変わってきた。

調べてわかったダイアナの正体

そもそもダイアナとは何なのか。

2017年頃から活動している、夜の世界で生きる女性たちを描いた漫画アカウントである。

パパ活、整形、風俗といったテーマを短編で投稿し、その総インプレッションは10億回を超えたという。

2023年には単行本も出版されている。

 

ここで、決定的な事実が2つ見つかった。

ひとつ目は、亜月ねねが参加する前から、ダイアナは複数人で漫画を描いていたという点である。

2021年11月に書かれた個人ブログに、こんな記述が残っていた。

アカウントの説明文が「夜の絵描き」から「夜の絵描き」へ変わり、複数人がダイアナ名義で漫画を投稿している——と。

亜月ねねが作画に加わったのは、その翌年の2022年1月である。

つまり彼女が来る前から、ダイアナという看板は動いていたことになる。

ほぅ…。

 

ふたつ目が、初代の描き手の存在。

炎上が始まるより2年近く前の、ごく普通の投稿にその記録は残っていた。

初代がいて、その後に亜月ねねが来た。

この投稿は炎上のはるか前に書かれたもので、誰かを庇う理由がどこにもない

実際、当時からダイアナを読んでいた人たちは、描き手が入れ替わる瞬間を目撃していた。

前の人の絵柄に寄せるところから始めた、というのが引き継ぎの実態だったのだろう。

そして亜月ねねが2024年2月に離脱したあとも、ダイアナはまた別の描き手を立てて続いている

 

要するに、屋台の看板とそこで雇われた料理人のような関係だ。

「ダイアナ」という看板の持ち主は別にいて、亜月ねねは2年間そこで料理を作っていた。

ところがお客さんはずっと、看板の名前がそのまま作っている人の名前だと思って通っていたわけだ。

世間と作者は違う質問に答えている

ここまで来ると、この騒動の正体が見えてくる。

「別人なのか?」という問いには、実は2つの意味が混ざっているのだ。

  1. ダイアナ名義の漫画を描いていたのは、今の作者か
  2. ダイアナというアカウントの持ち主は、今の作者か

1つ目の答えは「同じ人」である。

これは誰も争っていない。

作者自身、訂正ポストで「依頼を受けて漫画を寄稿していた」と認めているのだから。

 

そして2つ目の答えが「別の可能性が高い」というもの。

本人が「別人です」と言っているのは、こちらの意味だ。

つまり——世間は1つ目の質問で怒っていて、作者は2つ目の質問に答えている

であるならば、話が噛み合うはずがない。

 

では、なぜ世間はここまで「嘘だ」と感じたのか。

読者はずっと、ダイアナの漫画を描いている本人の体験談として読んでいたからだ。

この感覚を持っていた人は、相当多いだろう。

実際、僕もそういう漫画だと思って眺めていた一人だ。

 

ただ、読者が勝手に誤解したわけではない。

体験談のような一人称の作風で、名義は「ダイアナ」ひとつだけ。

誰が運営して誰が描いているのか、当時どこにも書かれていなかった。

誤解が生まれる仕組みを作ったのは、読者ではなく売っていた側である

その状態を2年以上そのままにしておいて、いま「別人です」とだけ言われても、飲み込めというほうが無理だろう。

わからないままの2つの謎

とはいえ、これで全部が晴れたわけではない。

いくら調べても答えの出なかったことが2つある。

 

ひとつは、「みい山の原型を誰が考えたのか?」という問題だ。

いま連載中の作品には、その元になった短編がダイアナ時代に存在する。

本人は「みい山は私が原作・作画ともに手掛けている」と言い切った。

しかしダイアナ名義だった当時の本のあとがきには「知り合いがモデル」と書かれており、その知り合いが誰の知り合いなのかは、外から確かめようがない

作者本人の知り合いなのか、台本を書いていた側の知り合いなのか。

ここが割れているせいで、原型の権利がどちらにあるのかも宙に浮いたままだ。

 

もうひとつが、「夜の仕事の経験があったのかどうか?」ということ。

本人は「一切ない」と否定している

疑う側が出している材料は、知人の紹介文や作風の近さといった、状況からの推測ばかりだ。

肯定する材料も、否定する材料も、外側には転がっていない。

ここは、外の人間には永遠に確かめられない領域である

 

わからないものは、わからない。

もちろん、それでも引っかかりが消えない人はいるだろう。

名義が誰であれ、描いた絵は残る。

この割り切れなさも、わからなくはない。

どっちに転んでも詰みという声

この騒動を見ていて、うまいことを言うなと感心した意見がある。

作者は「夜の仕事の経験はない」と否定したが、これはどちらに転んでも詰みだ、という指摘だ。

  • もし嘘なら、その場しのぎの言い逃れという印象が残る
  • もし本当なら、実体験に基づく社会派作品という看板を自分で下ろすことになる

言われてみれば、逃げ道がないように見える。

 

ただ、ここは少し立ち止まりたい。

商業版1巻のあとがきには、こう書かれている。

かつての私の友人がモデルで、実体験をもとにしたフィクションになります——と。

よく読むと、モデルは友人であって、自分だとはどこにも書いていない。

それでも「実体験」の三文字だけは、くっきりと残る。

誰の実体験なのかが曖昧なまま、この一言が読者の頭に焼き付いたのだろう。

 

実際、本人はインタビューでも「ストーリー自体は実話ではない」と明言している。

そこで語られていたのは昔の知り合いがモデルであること、そして支援学校の先生や夜の仕事の相談窓口へ取材に行ったことだった。

作品の土台として掲げてきたのは、最初から自分の体験ではなく、友人と取材だったわけだ。

そう考えると、経験がないから創作にすぎない、という理屈は成り立たない。

戦争の悲惨さを描くのに、戦地に立った経験が必須だという話にはならないのと同じだ。

そもそもこの話は、誰にも答えの出せない問いでもある

 

それでもこの指摘が刺さって見えるのは、理屈が正しいからではないだろう。

議論がもう「本当かどうかを確かめる段階」を通り過ぎてしまったのだ。

沈黙すれば認めたことにされ、説明すれば言い訳と呼ばれる

こうなった炎上は、もう事実を出しても鎮まらない。

ネットでは、過去に炎上した別の作家の名前まで持ち出して「またこのパターンだ」と型にはめる動きも始まっている。

こうなると、この人が実際に何をしたのかは、もう誰も見ていない。

 

ダイアナという看板の下で、実際は何がどうなっていたのか。

それを正確に知っているのは、当時その場にいた人たちだけである。

そして肝心の看板の持ち主は、いまのところ沈黙を守ったままだ。

この騒動がどこへ着地するのかは、その口が開くかどうかにかかっているのかもしれない。

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