猪苗代ボート死亡事故|反省が見えないと言われる被告のふるまい
2026年7月23日、最高裁がこの事故の弁論を9月18日に開くと決めた。
二審の逆転無罪が見直されるかもしれないというニュースである。
ところが、そのあとネットで一番拡散されたのは判決の話ではなかった。
事故のあとに投稿されたとみられる被告側の写真のほうだった。
「たとえ無罪だったとしても、これは無理だ」
そう感じた人が、あまりにも多かった。
僕もその一人である。
ではこの「無理だ」は、いったい何に対する無理なのだろうか。
裁判中に広まった笑顔の写真
まず、何があった事故なのかを振り返っておく。
2020年9月6日、福島県会津若松市の猪苗代湖・中田浜沖でのことである。
水上バイクで浮き輪を引っ張る遊びの順番待ちで、ライフジャケットを着て湖面に浮かんでいた家族連れに、大型のプレジャーボートが突っ込んだ。
8歳の男の子が亡くなり、母親は両脚を切断する重傷を負った。
知人家族の男の子も大けがをしている。
ボートを操縦していたのは、当時40代の会社役員の男だ。
逮捕・起訴されて裁判にかけられているので、報道では「被告」と呼ばれている。
一審の福島地裁は禁錮2年の実刑を言い渡したが、二審の仙台高裁は逆転無罪。
検察が上告し、6年目にしてようやく最高裁が動いた、というのが今回の報道である。
【3人死傷】猪苗代湖ボート事故、最高裁が9月18日に弁論 無罪判決見直しの可能性も 当時8歳の男児が死亡し、母親ら2人が重傷を負った事故。操船の男性には一審で実刑判決が言い渡されたが、二審は逆転無罪に。検察側の上告を受け、最高裁が弁論を開くことを決めた。
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 24, 2026
問題は、この報道とほぼ同時に、事故のあとに投稿されたとみられる被告側の写真が一気に広まったことだ。
ここでややこしいのが、広まっている写真は1種類ではないという点だろう。
1つは、湖の上でボートを走らせているもの。
もう1つは、店で仲間と食事をして笑っているもの。
どちらを見たかによって、受ける印象がけっこう変わってくる。
まず、湖のほうから見ていく。
週刊誌の報道によれば、事故を起こした船が押収されたあと、被告は別の船を琵琶湖へ移していたという。
そこで撮られたのが、時速100キロ超で湖面を走る船の上で、カメラに向かって笑っている写真である。
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出典:FRIDAYデジタル(2021年10月22日配信)
撮影されたのは事故の翌年、2021年7月。
同乗していた知人男性の証言がこれだ。
「時速100㎞は出ていたのに、後ろを振り返ったり、わき見運転をしていて正直怖かったです」
もう1つが、今回いちばん拡散した食事の写真のほうだ。
撮られたのは2022年10月中旬、まさに裁判が進んでいる最中である。
高級料理店で友人らと食卓を囲み、カメラに向かって手を挙げている。
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出典:FRIDAYデジタル(2023年4月16日配信)
写真に添えられていたのは、友人からのこんな言葉だった。
「海外行かれへんけどドバイに逃げたらあかんよ」
インスタのストーリーによるバカみたいな加工だと思うが、これがどうも悪印象を与えてしまったことは間違いないだろう。
つまり、ネットが突然掘り起こした与太話ではない。
どちらも数年前に週刊誌が写真つきで報じたものが、最高裁の報道をきっかけに再燃したという流れだ。
「たとえ無罪でも…」の感情の答え
写真が広まってからのネットの反応は、ほとんど一つの方向に集まっていた。
「普通は笑えないよなぁ」
そして、いちばん多かったのがこれである。
「なんでこれが無罪になるんだ」
猪苗代湖のボート事故 なんでこれが無罪になるんだ・・・。 被害者の家族の望む形になって欲しいよ。
— マナヴ (@MANAVU_GLSM) July 25, 2026
二審が無罪にした理屈そのものは、実はそこまで無茶なものではない。
加速したときに船首が持ち上がり、その先が見えなくなっていた可能性を否定できないからだ。
しかも現場は遊泳区域ではなかったので、そこに人が浮いているとは思いにくかった。
だから前を見ていても気づけなかったかもしれない、という理屈である。
区域の話は前の記事で詳しく書いたので、ぜひこちらも参照してみてほしい。
で、ここからが本題。
その理屈を全部飲み込んでも、この猪苗代ボート死亡事故の胸の引っかかりは1ミリも消えないのだ。
これはたぶん、法律の説明が足りないからではない。
8歳の子が亡くなり、母親は両脚を失った。
これだけのことが起きたのだから、その原因になった側にも、それと見合うだけの重たい何かが残っているはずだ。
そう思うのが人間として自然な感覚である。
つまり、僕が求めていたのは、彼が有罪かどうかではなく、彼が被害者の人生を重く、受け止め悲しんでいるかどうかだった。
ところが法律というのは、悲しんでいるかどうかを裁くようにはできていない。
裁けるのは「過失があったか」の一点だけ。
だから判決が出ても、僕らの探しものはいつまでも見つからないままだし、それが無罪になったことでさらにモヤモヤが深まってしまったのだ。
信用を失っていった6年間の行動
誤解のないように、先に一つ置いておきたい。
裁判で無罪を主張することは、誰にでも認められた正当な権利である。
弁護士を立てて、証拠で争って、納得できなければ最後まで戦う。
これを「往生際が悪い」で潰してしまうと、本当に無実の人まで黙らされる社会になってしまう。
冷静に調べたうえで、そう受け止めている人もいる。
猪苗代湖ボート事件の母親の手記見てなんでこんなことが許されるんだろ……って思ってちゃんと調べると無罪になる理由はちゃんとあるんだよね。心情的には加害者クソだけど司法としての判断はちゃんと機能してるんだなって。
— ゲンコツ (@Ff8Sb) July 25, 2026
争うこと自体を責めるのは、たぶん筋が違うのだと思う。
ただ、それでも言っておきたい。
もう少しおとなしくできなかったのか、と。
無罪を主張しながら、静かにしていることはできたはずなのだ。
船に乗らない。
高級店で乾杯をしない。
撮ったとしても、外に出さない。
それだけのことで、少なくともこの6年の空気はまるで違うものになっていたはずなのだ。
学校で「自分はやっていない」と言い張るのと、その日の放課後に大声で笑いながら遊ぶのとでは、周りの受け取り方がまるで違うのと同じで、人は主張の中身より、その人が何をして過ごしているかを見ている。
だからあの写真は、裁判よりも雄弁な証拠に見えてしまうのだ。
法廷でニヤついていたという証言
もっとも、引っかかっていたのは写真だけではなかったらしい。
遺族が週刊誌の取材に語った内容が、事故から数年後に報じられている。
ここから先は、遺族の側から見た光景として読んでほしい。
まず、謝罪の言葉があったのは初公判のたった1回、それも形式的なものだけだったという。
あとは遺族のほうを見向きもしなかった、と。
法廷では何度もニヤついていた、という情報も出ている。
味方であるはずの弁護士から叱責される場面まであったらしい。
そして極めつけがこれである。
証人尋問の翌日、その証人と朝からゴルフへ出かけていたという。
「何度もニヤついていたんです。一度、佐藤側の弁護士が『なんで笑ってんだ!』と叱責する場面もありました。たった1回、初公判の際、形式的に謝罪の言葉を口にしただけで、あとは私たちには見向きもしませんでした。私たちに対して申し訳ないとか反省する気持ちがあるとは思えません。
証人尋問の前日、佐藤は証人と高級料理店で焼き鳥を食べてSNSに投稿。証人尋問の翌日には、証人と朝からゴルフへ出かけていました。一緒にいた証人も、公判終わりに『任務完了!』とInstagramに投稿していたり、周囲の人間の対応を含めてもうめちゃくちゃですよ」
引用元:FRIDAYデジタル
上記は亡くなった8歳男児の父親の言葉なので、この事実はかなり重い。
ゴルフに行くこと自体を悪だと言うつもりはない。
だが、前日に法廷で子どもの死に方の話をした相手と、翌朝いっしょにコースを回る。
その日の空の下で、この人は何を話していたのだろうか。
想像しようとして、途中でやめてしまった。
猪苗代湖被害者の方のインスタを書き起こしてくれた文章読んだけど、『一目で生きていないとわかる状態』が想像の100倍酷すぎて もし身近なひとがこんな惨い死を迎えたら、自分なら極刑で償えと強く望むと思う
— 暁さだか (@llazuli_autumn) July 25, 2026
同じころ、母親は病室で何度目かの手術と向き合っていた。
片方は緑の芝の上で、片方は白い天井の下で。
この落差だけは、どうやっても感情の整理が追いつかない。
そして、もっと引っかかる話がある。
公判の場で、被告は親から月13万円の小遣いをもらって細々と暮らしていると話していたそうだ。
ところが同じ時期、SNS投稿では最低でも660万円ほどする高級車を注文したことを報告していたという。
法廷では細々とした生活をアピールし、実際は660万円のレクサスを購入。
亡くなった男児の父親が「人をバカにするのもいい加減にしろと腹が立ちます」と語っていたが、こんなふざけた話は決して許されるべきことではない。
極めつけは一審判決の日である。
2023年3月24日、禁錮2年の実刑を言い渡され、その場でいったん身柄を拘束された。
ところがその日のうちに保釈され、月末には友人らとカラオケを楽しんでいたと報じられている。
実刑判決から、1週間である。
ここまで積み上がってしまうと、もはや写真1枚の問題ではなくなってくる。
あの噂はどこまで本当なのか
ここまで調べていくと、ネットにはさらに強い話が流れているのに気づく。
- 救助もせずに走り去った
- 同乗者と口裏を合わせていた
- 従業員が亡くなったのを笑い飛ばした
- 外国から来た実習生をタダ働きさせていた
この手の書き込みを目にして、余計に気持ちがざわついた人は多いと思う。
僕もそうだった。
そこで、それぞれの話がどこから出てきたのかを整理してみる。
結論から言うと、ほとんどは2021年の時点で週刊誌が報じていた話だった。
従業員が亡くなった件についても、それを笑い飛ばして葬儀にも出なかったと書かれている。
外国から来た実習生の待遇も、元社員がこう証言していた。
「コンビニよりも日当が安いと嘆いて、皆、辞めていきました。休日にも無賃労働させられていて、本当にかわいそうでした」
救助せずに走り去った点も、当時の記事にはっきり書かれている。
ネットの誰かが想像で作った話ではないようだ。
ところが、話はここで単純に終わらない。
「口裏合わせ」だけは、まったく別の経緯をたどっているのである。
元になったのは、逮捕の翌日に通信社が配信した記事だ。
事故当時の動画に「やばい」という声が入っていて、同乗者に口止めをしていた、という内容だった。
ところが弁護側が証拠の開示を求めたところ、検察から「そんな動画は存在しない」という回答が返ってきた。
口止めの事実も確認されなかった。
つまり、誤報だったのである。
2023年5月に裁判所で和解が成立し、その翌日、通信社はお詫びの記事を配信している。
猪苗代湖ボート3人死傷事故、操縦した男性の無罪を見直しか 最高裁:朝日新聞 被告が共同通信社と福島民報社に対して名誉毀損で計3300万円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こしたとき、子供を殺しても自分の名誉は大事なんだなと思ったのを覚えている。
— 🐈⬛ (@yuki920229) July 26, 2026
白状すると、僕もこの投稿を見たときは「許すまじ…」と思ってしまった。
報道機関を訴えるくらいなら、その前にやることがあるだろう、と。
ところが調べてみたら、訴えられた記事のほうが間違っていたわけである。
これはこれで、ややこしい。
ここで、もう一つ書いておきたいことがある。
では週刊誌に載っていれば全部が正しいのかというと、それはそれで危ない。
あの記事に出てくるのは、たいてい匿名の元社員や知人の証言である。
反対側の言い分は、そこには載っていない。
そもそも、日本を代表する通信社ですら間違えたのだ。
週刊誌だけが間違えない理由など、どこにもない。
だから僕がここで確かめられたのは、「本当かどうか」ではない。
「どこから出た話なのか」までである。
そこから先を決めるのは、読む人それぞれだと思う。
少し話は逸れたが、ただ、インスタで回っていた写真だけは話が別だと思っている。
証言は食い違うことがあるし、記事は間違えることもある。
けれど本人が自分の意思で上げた写真は、あとから動かしようがない。
湖の上で笑っている姿も、公判中の食卓も、誰かが強制して撮らせたものではないのだ。
人は、それまで見てきた姿と矛盾しない噂だけを信じる生き物である。
日頃の行いという貯金を使い果たしてしまえば、あとから何を言っても信じてもらえない。
噂が疑われもせず広がること自体が、6年間への答えになっている。
怒りの正体は『悲しみ』だった
9月18日の弁論について、ネットには冷静な見方もあった。
- 刑事で罰するほどの過失はなかった
- けれど被害者側に落ち度もなかった
この2つは同時に成り立つことがある、という指摘である。
言われてみれば、たしかにそうなのだろう。
仮に結論がひっくり返ったとしても、実刑ではなく執行猶予がつくのではないか、とも言われている。
そうなると遺族にとって現実的な戦いの場は、すでに始まっている民事のほうなのかもしれない。
そのあたりの見通しは、また別の機会に書いてみたいと思う。
ただ、この記事で書いておきたかったのは、そこではない。
亡くなった男の子には、まだ何十年もの時間があったはずだった。
母親は義足と車椅子で、いまも息子さんのことを発信し続けている。
その文章を読んで、何日も引きずっている人が全国にたくさんいる。
猪苗代湖ボート事故の件、今更調べている。調査報告書、ネット記事やインタビュー。瑛大君の母親のインスタの投稿は全て読んだ。読めば読むほど辛い。瑛大君のお兄さんは、「瑛大いなくて寂しいね」と話すお母さんを「俺はいるよ」と肩をぽんぽんとたたいて励ましてくれるそうで、本当に良い子だなと。
— 三柴 (@misiva___) July 25, 2026
「俺はいるよ」と、お兄ちゃんが肩を叩く。
当時10歳だった子が、あの日から母親を支える側になってしまったということでもある。
会ったこともない家族のことを考え、ここまで気持ちが重くなるのはなぜか。
湖にも海にも、川にだって僕らは子どもを連れて行く。
あの日あの場所にいたのが自分の家族でもおかしくなかった。
そんなことを、心のどこかで思ってしまうからだ。
だからこそ、社会を生きる一人の人間として、あの子の死をちゃんと重たく受け止めている姿を、被告の中に探してしまうのだろう。
それが6年間、ついに見つからなかった。
だからこの気持ちの正体は、怒りというより、行き場をなくした悲しみのほうに近いのかもしれない。
9月18日に開かれる法廷で、結論がどう転ぶかは誰にも分からない。
ただ、あの家族が過ごしてきた6年の重さに、正面から向き合った判断であってほしいと願っている。