ものまねタレント・清水アキラの三男で、タレントの清水良太郎が亡くなった。

37歳という若さだった。

8月1日の夜、都内の自宅で意識のない状態で見つかり、警察は自ら命を絶った可能性が高いとみているという。

6月には父親と同じ舞台に立ち、親子で38曲のものまねを歌い切ったばかりだった。

父・清水アキラが公式サイトに出した文章を読んで、僕はある一行から目が離せなくなってしまった。

「元気が一番の親孝行と思っておりましたが」

ものまね四天王と言われた清水アキラだが、今回はこの父と息子のあいだにあったものを、僕なりに考えてみたくて筆をとる。

連絡が途絶えた三日間

訃報がネットを駆け抜けたのは8月2日のことだった。

報道では、その前日の午後9時すぎに、都内の自宅でマネジャーが意識のない良太郎を見つけて119番通報したとされている。

そして、その場で亡くなったことが確認された。

 

引っかかったのは、そこに至るまでの数日間である。

親しい芸能関係者の話として、3日ほど前からパタリと連絡が取れなくなっていたと報じられている。

何度電話をかけても出ない。

どうか無事でいてほしい、と周りが言い合っていたそうだ。

 

3日というのは、なんとも微妙な長さに感じる。

友達と連絡がつかなくても二日くらいなら「そのうち出てくるだろう」で流してしまうのと同じで、心配が行動に変わるまでには、どうしても時間がかかってしまう。

その数日の空白が、あとから振り返るとやたらに重い。

 

清水良太郎という人を、名前だけは知っているという人も多いだろう。

2006年に大河ドラマで俳優デビューし、その後は父と同じものまねの世界で頭角を現した。

歌のうまさを武器にした芸で人気番組の常連となり、一時は相当な稼ぎがあったとも言われている。

その流れが止まったのが2017年。

薬物事件で逮捕されて有罪判決を受け、父の事務所も解雇された。

 

そこからは運送の仕事などで生活を立て直しながら、路上での歌や動画の配信でこつこつと表舞台へ戻ってきている。

そして去年の秋、親子ものまねコンサートという形で、父と同じ舞台に立った

今年6月5日には都内のホールで追加公演まで行われ、親子で38曲を歌い切っている。

ソロにデュエット、アンコールまで含めての38曲だ。

本人は公演の前に、打ち合わせは直前です、試験の前日の勉強のようなものです、と話していた。

そういう軽口が出るくらいには、この親子の空気はもう元に戻っていたのである。

 

この公演の前のインタビューで、彼は将来の夢を口にしていた。

新宿や六本木にはあるのに、どうして銀座にものまねの店がないのか。

ものまねはここにあり、と言える場所が、あの街にあってもいいんじゃないか——そんな話である。

それに対して父アキラは、私も一緒にやりたい、と応じている

 

下り坂の途中ではない。

上り坂の、途中。

そういう場所にいた人が、そこから2か月足らずで、この結末を迎えてしまった。

訃報に触れた人の反応も、まずはここで止まっていた。

6月に父親と並んで笑いながら歌っていた人が、なぜ。

二世が背負う見えない荷物

ここから先は、報道された事実をもとにした僕の見方になる。

ネットで目についたのは、二世タレントの生きづらさに触れる声だった。

二世の何がしんどいのかは、外からは案外わかりにくい。

「親の七光り」と言われること自体は、まだ耐えられるのかもしれない。

きついのは、うまくやればやるほど「さすが親子だ」と褒められるほうだと思う。

その褒め言葉のなかに、いつまでも自分の名前が出てこないのだ。

 

まして良太郎の場合、戦う土俵そのものが父親の作ったものである。

ものまねという芸を全国区に押し上げた四天王の一人が、家の中にいた。

歌手の顔にセロハンテープを貼っていくあの芸を、お茶の間の定番にしてしまった人である。

同じ名字で、同じ土俵に上がる。

比べられない日など、一日もなかったはずだ。

そこで同じ芸を選ぶというのは、親が建てた家の中で、自分の部屋を探し続けるようなものだと思う。

 

4年ほど前、神田沙也加が亡くなったときにも、同じことを考えていた。

親が偉大であればあるほど、子供は自分の力で立ったという証明を欲しがる。

そして、その証明はたいてい間に合わない。

 

2023年に受けたインタビューが、いま読み返すとかなり重い。

逮捕のあと、彼は運送や害虫駆除の現場で汗を流していた。

街では「あれ清水良太郎だ」と指をさされ、親父も呼んで麻雀でもやろうやと絡まれたこともあったという。

そしてその頃に一度、死ぬことを考えたと本人が語っている

そこから彼を引き戻したのは、父アキラの言葉だった。

 

つまり彼は、一度は父の言葉で踏みとどまった人なのである。

 

ネットには「弱い」「逃げた」という言い方も並んでいる。

そう言いたくなる気持ちは、わからなくもない。

ただ、そこにはどうしても頷けないのだ。

 

本当に逃げる人間というのは、ちゃんと逃げる。

迷惑をかけた相手の連絡先を消して、どこか遠くで平気な顔をして笑っている。

そういう人ほど、たいてい死なない

 

追い詰められていくのは、いつだって背負ったものを下ろせなかった側だ。

人を狂わせるのは過度のストレスで、それが外へ向かえば事件になり、内へ向かえば自分自身へ向かってしまう。

彼には、まだ小さい娘がいる。

もう一度売れなければいけない理由も、表に戻らなければいけない理由も、全部その先にあったはずだ。

僕には、限界まで責任を全うしようとした人のように思えた。

本人が何年かけて立て直そうと、名前を検索すれば9年前の見出しのほうが先に出てくるのだが今の世の中だ。

そういう重苦しい現実が、見えないところで彼の重石となっていたのかもしれない。

元気が一番の親孝行という言葉

そこで、父・清水アキラの声明である。

公式サイトに出されたその文章は、驚くほど短い。

読んで最初に思ったのは、そこに書かれていないことの多さだった。

死因にも、発見の状況にも、一言も触れていない。

過去の事件のことも、この8年の苦労も、一行も出てこないのだ。

 

そこにあったのは、この3つだけである。

  • 息子を支えてくれた人たちへの感謝
  • しばらく家族に偲ぶ時間をほしいという願い
  • 親子で舞台に立ち、息子の歌声を聴くのが何よりの幸せだったという回想

 

2番目の願いが、いまの家族の状態をそのまま映している。

葬儀の日程すら決まっていない段階で、報道と憶測のほうが先に走っていく。

そのなかで、静かに悲しむ時間をくださいと頭を下げているのだ。

 

「思いやりがあって、とても優しい子でした」

37歳の息子のことを、こう書くのだ。

親からすれば、子供はいくつになっても子供のままなのだと思う。

 

そして、冒頭で紹介したこの一行がくる。

「元気が一番の親孝行と思っておりましたが無念でなりません」

 

売れることでも、有名になることでも、稼ぐことでもない。

この父親が息子に望んでいたのは、元気でいることだけだった

 

2017年の逮捕のとき、アキラは会見を開いて深々と頭を下げ、息子を事務所から解雇している。

当時は、もう同じ舞台に立つことはないだろうという趣旨のことまで口にしていた。

その父親が、去年から息子と並んで歌っていたのだ。

8年かけて父親が辿り着いた答えが、あの一行だったのだと思う

 

もうひとつ、残しておきたい事実がある。

6月の公演は都内の大きなホールで開かれ、客席はきちんと埋まっていた。

過去に何があった人でも、戻ってくれば、客は笑って迎えてくれるのだ。

チケットを買ってあの席に座った人たちは、少なくとも過去を責めに来たわけではない。

世間の風は冷たいが、目の前まで足を運んでくれた客はそんなに冷たくないのである。

 

声明は、この一行で結ばれている。

「良太郎の分まで長生きしようと思っております」

 

72歳。

本来なら、そろそろ自分の店じまいを考えはじめてもいい年齢である。

その人が、息子の分まで生きると書いた。

良太郎の歌声は、もう新しくは増えない。

分まで生きるというのは、増えなくなった時間を代わりに抱えて歩くということだ

それを72歳の父親が、自分から引き受けたことが胸にせまる。

清水良太郎さんの、ご冥福をお祈りしたい。