島に着いたちいかわ達を、島民が歌で迎える場面があった。

たこ焼き、すき焼き、ケバブ。

ごちそうの名前が次々に出てくる、明るくて楽しい歌である。

 

あの歌詞、頭の文字だけを縦に読むと「たすけて」になる

 

そんなものを、館内の誰にも気づかれないまま流していたわけだ。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てから何日も経つのに、まだあの島から戻ってこられない人がずいぶんいる。

 

公開直後、この映画に付いた呼び名は「ホラー」だった。

それが2週間経ったいま、感想欄に並ぶ単語ごと入れ替わっている。

神話的だとか、寓話的だとか

島でわちゃわちゃする生き物の映画に使う言葉としてはあまりに重いものだが、それでも観た人にとってはしっくりくる言葉らしい。

スタッフ表と劇場の外を調べていくうちに、その理由がだいたい見えてきた。

あれは偶然ああなったのではなく、そう作られていたのだ。

今回は【ネタバレあり】で、仕込まれていたものを片っ端から開けていこうと思う。

楽しい掛け声に隠された仕掛け

このような仕掛けは歌詞の頭文字だけでは終わらない。

合いの手で入るあの「おーえす!」も、口に出してみれば「SOS」である。

歓迎の歌は、頭から終わりまで『救難信号』で埋まっていたことになる。

知ると背中にひやっとしたものを感じるが、初回でこれに気づいた人はまずいないだろう。

僕も館内では「たこ焼きいいな」くらいの顔で聴いていた。

目の前で助けを求められていたのに、たこ焼きである(笑)

 

そして公開前の告知を見返すと、なかなかひどいことが書いてある。

「ある理由から島民たちを襲っている」

公開2か月前の時点で、答えはもう書いてあったわけだ。

誰もその一行を本気で読んでいなかっただけだが、映画ちいかわにはそういう仕掛けがふんだんに散りばめられている。

 

それにしても、こういう仕掛けは気づかれなければ何の意味もない

それなのに、誰かが解いてくれることをまるであてにしていない。

気づかれなければ、陽気な島の歌のまま終わる。

それでいい、という腹の括り方をこの映画に垣間見てしまう。

実際、子供の耳にはその通りに届いているし、意味を知った大人はちょっと青ざめる。

 

ちなみにこの「青ざめる」感じの正体について、観た人たちがなぜか揃って同じ作家の名前を出している。

東野圭吾と、湊かなえだ。

かわいい生き物の映画の感想に、イヤミスの女王の名前が出てくる時点でだいぶおかしい。

その話は別の記事にまとめてある。

ちいかわ、東野圭吾
映画ちいかわ×東野圭吾の共通点…裏に隠された罪と罰というテーゼ 『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が話題になってるが、そこでよく引き合いにだされるのが東野圭吾である。 かわいいの代名詞ちいかわと...

一人足りない人魚の歌のギミック

仕掛けは歌詞だけでは終わらなかった。

耳のいい人たちが、人魚たちの歌にずっと引っかかっていたのだ。

和音というのは、ドミソのように3つの音がそろって初めて1セットになる。

中学の合唱コンクールでソプラノ・アルト・男声に分かれたのと同じで、1パート抜けると響きが濁る

その濁りが、あの歌にはずっと残っているというわけだ。

「本当は3人いたの」という台詞を、耳のほうで先に受け取っていたことになる。

絵でも説明でもなく、足りない音で。

このギミックはなかなかシブい。

 

この欠けた一人分については、もっと嫌な指摘も出ている。

和音の三音は、その響きが明るいのか悲しいのかを決める音だという。

それが抜けているということは、あの歌は喜んでいるのか泣いているのか判定できない状態にしてあるということだ。

いやはや…。

 

楽譜に起こした人からも、悲鳴が上がっていた。

耳コピの猛者が、コード進行を書き出して怖がっている。

その歌を担当したのが、セイレーン役の鈴木みのりだ。

愛らしさと禍々しさを、同じ喉で行き来している。

サウンドトラック52曲のうち、11曲にあの歌声が入っているという。

客席で子供が「たこ焼き!」と笑い、隣で親が黙り込む。

あの妙な温度差は、耳から入ってくる漫画にはない仕掛けだと言えるので、これだけでも映画館に足を運ぶ価値があるのではないだろうか。

セイレーンという名前における考察

冒頭に書いた「神話的」という言葉に、ここで戻ってみよう。

あれは観た人が話を盛っているわけではなく、そう呼びたくなる材料が最初から積まれてあったという見方がしっくりくるからだ。

 

まずセイレーンという名前は、ギリシャ神話で歌を使って船乗りを海へ引きずり込む怪物の名前である。

美しい声で近づかせ、正気を奪い、そのまま沈める。

神話の中での役割は、はっきり言って『加害者側』となる。

 

ちなみに元のセイレーンは人魚ですらなく、上半身が人間で下半身が鳥という姿で語られていた。

長い年月のあいだに人魚のイメージと混ざり、いまではスターバックスのロゴになっている二本の尾の人魚もセイレーンと呼ばれている。

コーヒーを買うたびに、船を沈めてきた怪物と目が合っていたわけだ。

知らないほうが幸せだったかもしれない。

 

ついでに、救急車の「サイレン」も語源はこのセイレーンだと言われている。

危険を知らせるあの音の名前が、歌う怪物から来ているのである。

 

かわいい生き物が出てくる映画に、どうしてここまで格の重い怪物を持ってきたのだろうかと考えてしまうところもあるが、ナガノは名前だけを拝借したのではなかった。

あの島が豊かに実っていたのは、セイレーンの歌の力によるものだ。

島民をさらったのも、やはり同じ歌である。

島を食わせていた歌と、島を襲った歌が、同じ喉から出ている

歌で寄せて歌で滅ぼす、という神話の手口をそのまま持ち込んでいるのだ。

 

日本側にも下敷きがある。

人魚の肉を口にした娘が800年生きてしまう、八百比丘尼(やおびくに)の言い伝えだ。

日本の人魚は、幸運を運んでくるマスコットではない。

手を出せば取り返しがつかなくなる相手として、千年以上も語り継がれてきた。

この八百比丘尼、全国28都県121ヶ所に伝承が残っているうえに、「人魚が現れると災いが起きる」という不吉な言い伝えとセットで語られてきた存在でもある。

そのあたりは別の記事でたっぷり書いた。

ちいかわ人魚
映画ちいかわの人魚の元ネタとは?知ると10倍怖くなる八百比丘尼の言い伝え『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が、この夏の劇場をかっさらっている。 僕もすでに観てきたし、なんならこのブログでちいかわの記事を書く...

 

東でも西でも「近づくな」と言われ続けてきた存在

それを夏休みの子供向け映画の中心に据えたのだから、まあ、ただ事ではない。

神の使いを手にかけた以上、あの結末は必然だった——という読み方である。

この目で観直すと、ヒトハとフタバの話は「気の毒な二人」の物語ではなくなる。

神話の側の掟に触れてしまった者の話へ変わるのだ。

後味がすっきりとしないのも道理で、神話の罰は反省の度合いで軽くなったりしない。

 

ではあの二人に、どんな罰が下されたのか。

殺されるより重いものが用意されていて、しかも二人の体に入っていたものまで含めると、あの結末の意味がまるっきり変わってくる。

そこだけを掘った記事がこちら。

ヒトハとフタバ
ヒトハとフタバが背負った『永遠の罰』について|ネタバレあり考察『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』について書くのも、これで6本目になる。 毎回「これで最後にしよう…」と思いながら、気がつけばパソコン...

脚本までこだわるナガノのスタンス

ここまで見てきた仕掛けを、誰が仕込んだのか。

公式のスタッフ一覧に、その答えがそのまま載っている。

  • 原作・ナガノ
  • 脚本・ナガノ

原作者が自分で脚本を書いているのだ。

アニメ映画で原作者に振られる役割は、たいてい「監修」止まりであることが多い。

設定を守るための相談役として横に座り、物語の組み立て自体は脚本家が担当する。

その分業を、今回はやっていない。

 

それどころか主題歌の作詞もナガノだ。

オープニングの「くつずれ」はハチワレの声、エンディングの「机さする」はちいかわの声で流れる。

物語を書いた本人が歌詞を書き、キャラクター本人が歌う。

ここまで一本の線でつながっている映画は、なかなかないのではないだろうか。

 

そしてエンドロール。

総作画監督の欄にも『ナガノ』の名前があるという報告だ。

話を書いて、歌詞を書いて、絵の上がりまで自分の目で通す。

監修という言葉では、もう追いつかない働き方である。

だから作画の細部にまで、原作の癖がそのまま残った。

ファンが期待通りの「間」に安心感を覚えたのは、決して気のせいではないということだ。

スポンサーやテレビ局のノイズが排除されていた

ただ、作り手が本気でも、それを通せる場所にいなければ意味がない。

人気キャラクターの映画には、いつも同じ落とし穴があるからだ。

 

この手の作品は「製作委員会」という形で作られることが多い。

テレビ局、広告会社、玩具メーカー。

何社もが出資を分け合い、リスクも分散させる仕組みである。

資金面ではありがたいのだが、お金を出した会社の数だけ意見も乗ってくる

「ここは子供が泣くので削れませんか」

「グッズにしやすい場面をもう少し」

そうやって全員の顔を立てているうちに、作品はどんどん角が取れていく。

どんな映画化作品でも「原作のほうが面白い」という意見が出てくるものだが、それは大人の事情で原作に余計な手垢がベタベタとついてしまうからだ。

2019年にも、映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の終盤で、物語がVR世界だったというメタ展開が炎上したが、ああいう原作改変というのはファンにとって本当にサイアクだ。

 

今回で言えば、削られてもおかしくない場所はいくらでもあった。

  • 島民が一人ずつ消えていく気配
  • ヒトハとフタバが背負ったもの
  • そして、あのラスト

どれも「子供向けとしてどうなんですか」と言われたら、真っ先に議題に上がりそうな部分ばかりである。

 

それらが全部、原型のまま残った。

理由は、この映画のとりまとめ役の座り方にある。

製作幹事を務めるのは『QTORY』という会社である。

設立は2024年。

ちいかわの権利を管理している会社が、『すずめの戸締まり』などを送り出してきた映画の企画会社と組んで作った新しい会社だ。

要するに権利を持っている側が、そのまま製作の真ん中に座っていることになる。

 

動き出したのは2024年の秋ごろだという。

プロデューサー側がまずナガノに「どんな画面を目指すか」「そのためにどんな体制を組むか」を説明し、納得をもらってから制作へ進んだ。

いちばん最初にやったのが原作者への説明である。

ただの段取りの話に見えるが、これが効いたのだと思う。

 

ついでに言えば、そもそもちいかわは大人が読んでいた漫画である。

出版社の連載ではなく、ナガノが2020年からXに投稿していたところから広がった。

草むしりで日銭を稼ぎ、討伐に失敗し、理不尽に泣く。

その世知辛さごと好きになった読者が最初の客層で、子供が入ってきたのは朝のテレビで流れ始めてからだ。

クレジットを眺めた人が、こんなことを言っていた。

ネット発で育った作品は、権利の持ち方からして普通の漫画と違う。

だから「もう少しマイルドに」と言い出す人が、そもそもあの会議にいなかったのではないだろうか。

 

宣伝の打ち方にも、同じ考え方が出ている。

大々的な記者会見やレッドカーペットはほとんどやらず、力を入れたのは上映後のキャラクター挨拶やポップアップストアのほうだった。

話題づくりのために芸能人を声優に呼ぶこともせず、キャストは本職で固めている。

作品を守れる人が、守れる場所に立っていた

今回、映画ちいかわへの好意的な口コミが広まった「ひみつ」は、たぶんそこに尽きると思っている。

テレビ版とは別の会社が関わってる?

体制が整っていても、絵と音の腕がなければ画面には出ない。

そこでスタッフ表の続きを見ると、また妙なことになっている。

 

アニメを作ったのはサイピク、正式にはCygamesPicturesという会社だ。

『ウマ娘』の劇場版で、走る絵を描き切ったスタジオである。

テレビシリーズを担当してきた会社とは別で、映画のためにわざわざ入れ替えたことになる。

丸い生き物が島で過ごす話に、レース作画の精鋭は要らないはずなのだが。

丸と点で描かれた顔の後ろにだけ、やたら本格的な島の風景が広がっている。

観ているあいだの落ち着かなさは、たぶんここから来ていた。

 

監督の及川啓も『ウマ娘』シリーズの人で、静かな場面に緊張を張るのが上手い

その及川監督が、インタビューで面白いことを漏らしていた。

初めてのアフレコがちいかわとうさぎの場面だったのだが、「よく考えたらセリフというセリフが何もなかった」というのだ。

 

言われてみればその通りで、ちいかわはほとんど喋らない。

「わァ…」と「ヤハ!」で99分を渡り切らせなければいけない。

息の吸い方と表情だけで感情を運ぶ、という無茶な注文である。

真相を知ってしまったちいかわが、何も言えずに立っているだけの場面が効くのは、サイピクが積み重ねてきたスキルと経験の結果だと言える。

 

そして音楽。

担当はトクマルシューゴと上水樽力(うえみずたる ちから)である。

この驚き方に、人選の意外さが凝縮されている。

トクマルシューゴという人は、インディーズの世界から出てきて、音楽好きに長く聴かれ続けているミュージシャンである。

旬の歌手を主題歌に呼んで話題を作る、という定番の手をここでも使っていない。

 

ただ、これは今回だけの人選ではない。

テレビシリーズの音楽も、ずっとこの人が担当してきた

朝のテレビで聴いていたあの音の続きが、そのままスクリーンで鳴っていたことになる。

絵を描く会社は入れ替えて、音の人は替えない。

変えるところと守るところの線引きが、いちいち上手いのである。

パンフレットが濡れている

ここまでがスクリーンの中の話。

やっかいなことに、この映画の作り込みは場外にまで漏れている

まずは劇場で売っているパンフレットを見てほしい。

濡れていない。

この水滴、最初からそういうデザインとして印刷されている

買った人が本気で拭きにいくレベルの再現度で、この投稿は大きく広がった。

 

裏返すと、今度は赤いウロコのような模様が入っている。

最後まで観た人なら、これが何なのかもう説明は要らないだろう。

映画館では気づかず、家に帰って初めて意味が立ち上がる裏表紙。

紙の一枚まで、ちゃんと物語の続きになっている。

 

中身のほうも普通ではない。

普通この手の冊子は、監督インタビューと声優対談でページが埋まっているものだ。

それが丸ごとなくて、載っているのはナガノの描き下ろし漫画。

制作の裏話を読ませて、観客の気持ちを別の場所へ移してしまわない配慮にナガノワールドの細かい配慮が感じられて良きなのだ。

入場特典の順番、それって逆じゃない?

そしてグッズ班である。

ここがいま話題になっていて、個人的に腕っぷしを感じた部分だ。

 

入場者特典の第1弾は、チャームミニフィギュアのランダム全8種だった。

カバンや傘に付けられる、小さな立体のやつである。

まぁ、普通にほしいし、もらって嬉しい。

これ、出す順番が逆なのだ。

 

というのも、映画の入場者特典は、まずポストカードやシールといった紙モノから始めるのが定石。

紙なら刷る枚数を後から動かせるので、当たれば増やせるし、外しても被害が小さいからだ。

でも、立体フィギュアはそうはいかない。

型を作る費用が先に出ていき、生産にも時間がかかり、読みを外せば倉庫が埋まる。

それを初日から、8種類、立体で配った。

しかも3日間で150万人が押し寄せた上に、8月7日まで配り切る量を最初から積んでいた

当てる自信がなければ、こんな置き方はできない。

ただ、それも序の口だった。

 

そこで話題になっているのが、8月8日からの第2弾入場特典。

これがまた騒ぎになっている。。

ボンボンドロップは、サンスター文具が出しているぷっくり盛り上がった立体のシールのことだ。

ちいかわの通常グッズでも売り切れが続いている人気シリーズである。

 

投稿にある「ボンドロ風」というのが肝で、映画の特典ではそれっぽく似せたシールを作って済ませることが多い。

厚みさえ出せば、雰囲気は再現できてしまうからだ。

僕も子供と一緒にコリアンタウンに行った時、その手のシールが驚くほどたくさんあって「こんなに人気があるのか…」と驚いたものだ。

逆に言えば、本家じゃなくてもそれだけ需要があるし、コストを抑えて利益を取ることだってできるわけなのだが、ところが今回、本家をそのまま持ってきたのがニクい。

他の映画の特典と並べると、この差はかなり大きい。

 

そして、この第2弾で本当に恐ろしいのは枚数のほうだ。

配布は1回の鑑賞につき1シート。

すでに305万人が観終わっている作品で、これから配り始める

お盆の家族連れは、まだ劇場に来てすらいない。

ぷっくりしたシールは普通の印刷物より手間も単価も上なので、震える人が出るのも無理はない。

 

ちなみにこのシート、キャラクターに混ざって「びんよよ」「人魚のウロコ」といった本編のキーワードまで入っているらしい。

知らない人にはかわいい絵柄が並んでいるだけなのだが、観た人にはしっかり刺さる内容となっている。

コンビニの棚にも人魚の島

劇場の外はもっと大変なことになっている。

セブン-イレブンが、作中の食べ物を10品つくって並べたのだ。

  • 島二郎のスパイスの効いたカツカレー
  • 限定島ラーメン まぐろダシのしょうゆ味
  • くりまんじゅうのソース焼きそば
  • あの屋台のケバブチキン
  • 島二郎の貝汁
  • 島フルーツパフェ

キャラクターの絵を袋に刷った菓子パン、では終わらせていない。

あの場面に出ていたものを、そのまま買って食べられるようにしてある。

カツカレーには貝だしを隠し味に入れ、クミンとコリアンダーまで効かせているという徹底ぶりである。

 

他社も動いている。

ココイチには限定の島カレーが並び、サントリーはちいかわボトルを24種類作った。

横浜市に至っては観光とコラボして、コスモクロック21で特別な花火まで上げている。

 

ただ、セブンの品書きを眺めていて、ひとつだけ指が止まった。

赤魚の煮付である。

骨まで柔らかく煮込んだ、どこにでもある和惣菜として棚に置かれている。

観る前の人には、そうとしか見えない。

しかも、このフェアが始まったのは公開3日前の7月21日だ。

映画より先に、あれを食べさせている。

観たあとに棚の前で立ち止まる人が出るところまで、たぶん最初から見えていたのだと思う。

これだけの量をばら撒いておいて、世界観のほうは1ミリも崩れていない。

スクリーンの外にいる人たちまで、完全にガチなのである。

令和キッズの昔話と言われる理由

ここまで並べて、ようやく腑に落ちたことがある。

この映画がやったのは、たぶん昔話と同じことだ。

 

怪しい招待状に釣られて、ちいかわ達は島へ渡る。

もうこの入り口からして『竜宮城の親戚』である。

そして昔話が子供に教えてきたことは、だいたい3つに絞られる。

  • うまい話には裏がある
  • 破ってはいけない約束がある
  • 世の中にはかなわない相手がいる

赤ずきんも、浦島太郎も、鶴の恩返しも、結局この話をしている。

しかし、令和キッズは手強い。

昔話なんかよりショート動画の方が身近なので、その深みもすぐに忘れ去られてしまう。

親が口で言えば説教として流されるものが、物語の形になると勝手に入っていく。

同じ列に座りながら、親と子は違う映画を観ていたことになる。

子供には島の冒険として届き、大人にだけ意味が開く。

作中の難しい漢字にルビが振られていないのも、扉を開けさせないための細工ではないかと言われている。

 

そして昔話の本当に怖いところは、あとでその意味が効いてくることだ。

幼い頃に聞いた話のモヤモヤを、何十年も経ってから思い出す。

この余韻がしつこいのは、正しく効いている証拠なのだと思う。

意味がわからないまま帰った子供にも、いつか開く日がくる。

この映画は、そんな玉手箱をひとつ持たせてくれているのかもしれない。

 

ついでに言うと、いま絵本で売られているグリム童話は、中身がだいぶ薄められている。

原作のシンデレラでは、義理の姉が靴のサイズに合わせて自分のかかとを切り落とすのだ。

そっちと並べて読むと、この映画がどのくらい昔話の側にいるのかがよくわかる。

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ナガノ本人はどこまで仕掛けていたのか?

というわけで、種明かしを一通り並べてみた。

原作者が話を書き、権利を持つ側が守れる形を組み、絵と音に本職を揃えた。

歌詞の頭文字からコンビニの棚まで、どこを触っても手が抜かれていない。

その結果として、原作の容赦のなさが薄まらないままスクリーンへ出てきた。

あの後味は事故ではなく、狙って作られた仕様だったのである。

 

ちなみに「ガチ勢」というのは、こちらが勝手に呼んでいるだけだ。

制作側は何も宣言していないし、それどころかナガノ本人は、この話について「深い意味はない」という趣旨のことを言っている。

描きたいのはメッセージではなく、何かが起きたときの反応や表情なのだ、と。

 

こちらが必死に神話やら伏線やらを掘り返している横で、当の本人はけろっとしている。

この温度差には、正直かなわない。

本当にいるんだね、天才って。

 

そして仕掛けを知ってから劇場へ戻った人は、こうなるらしい。

セリフの意図が全部透けて見える2周目は、初見の100倍ゾクゾクするとのこと。

あの陽気な島の歌が『救難信号』だと知ったあとで聴き直せば、たしかに別の曲になる。

 

初回の、何も知らないまま座っていたあの状態には、もう二度と戻れない。

ただ、その代わりに拾えるものは増えた。

足りない一音、歌詞の頭文字、パンフレットの裏。

もう一度あの島へ渡る理由なら、そこらじゅうに落ちている。

 

さらに奥まで潜りたい人へ。

あの裸エプロンの島二郎が、ギリシャ神話の海の神ではないかという説まで出ている。

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