ジブリ映画は、日本のサブスクで解禁されない。

その理由として、いろんなところでこう説明されている。

 

「宮崎駿監督が、映画館で見てほしいと考えているから」

 

誰もが知るアニメ界の巨匠のこだわりなら仕方がない。

僕もずっと、そういうものだと思って納得してきた一人である。

ただ、この説明にはどうにも引っかかるところがある。

海外では、190か国以上で普通に配信されているのだ。

今回は、この「こだわり説」がどこから来た話なのか、そして誰が配信を止めているのか、ちょっと闇深い噂を調べてみた。

宮崎駿のこだわりは誰が言った話か

Netflixは2020年から、ジブリ作品21本を配信している。

ただし対象は日本とアメリカとカナダを除いた、およそ190か国だ。

Netflixはその権利を、フランスの配給会社を通じて手に入れている。

北米の2か国が抜けているのも、監督の美学とは何の関係もない。

あちらはワーナー系の配信サービスが別に権利を持っていたからである。

 

つまり、実際に起きているのは「ジブリが配信しない」ではない。

ジブリは世界中で配信していて、日本だけが外されているのだ。

もちろん、作家のこだわりというものは、たしかに強い。

しかし、それが太平洋の上あたりで消えてなくなるという話はさすがに聞いたことがない。

 

では、あの「映画館で見てほしい」という説はどこから出てきたのか。

まず押さえておきたいのは、ジブリも日テレも配信しない理由を公式に発表していないという点である。

なので、世の中に流れている「こだわり説」は、誰かの推測がいつのまにか事実として語られるようになったものだ。

 

あの説のもとになったのは、鈴木敏夫の著書で語られた宮崎駿の考え方だという。

映画は映画館で見るべきものだ、という強い信念があった。

ここまでは分かる。

問題はその続きだ。

同じ話の中で、宮崎駿はテレビ放映やDVDのレンタルにも否定的だったとされているのである。

 

いかにも昔気質な話だが、その否定的だったはずのテレビ放映はいまも年に何度も行われている。

ソフトも普通に売られている。

ネットでも、同じ場所を突く声が出ていた。

短い一言だが、これがすべてではないだろうか。

そのこだわりは、なぜか配信にだけ都合よく効いているのだ。

テレビはよくて配信はだめ、という線を宮崎駿本人が引いた形跡はどこを探しても出てこない。

火垂るの墓だけ日本で配信できる理由

ところで、日本でもジブリ作品が1本だけ配信されているのをご存知だろうか。

2025年7月15日から、Netflixで『火垂るの墓』が配信されている

ジブリ作品が日本国内で配信されたのは、これが初めてのことだった。

 

ここで当然、こういう疑問が浮かぶ。

まったく同じことを思った人は多いはずだ。

作り手のこだわりが理由なら、なぜこの1本だけが抜けられるのか。

 

答えは、宮崎駿でも高畑勲でもなかった。

『火垂るの墓』の著作権を持っているのは、スタジオジブリではなく新潮社だからである。

原作は野坂昭如の小説で、映画化の企画はもともと他の作品と同じように徳間書店で進む予定だった。

ところが社内から猛反発が出た。

そこで原作の文庫を出していた新潮社へ企画が持ち込まれ、新潮社が出資して製作することになったのである。

 

結果として、この1本だけが徳間・日テレのラインの外側に立っている

だから新潮社の判断だけで配信できた。

ネットにも、この構造にちゃんと気づいている人がいた。

同じスタジオの、ほとんど同じ時代に作られた作品である。

作り手の思想が理由なら、権利を持つ会社が違うだけで結果が変わるはずがない。

配信されるかどうかを決めていたのは、作家の意志ではなく、誰が権利を持っているかだったのである。

決めているのはジブリではなかった

では、その鍵は誰が持っているのか。

これについては、実のところ答えがもう出ている。

2026年5月、日本テレビの定例会見でのことだ。

国内で配信されないことについて問われた福田博之社長は、こう答えている。

 

「これまで通り『金曜ロードショー』で放送することを、ジブリと日テレ間で大事にしていく」

 

Huluなどでの配信は当面見送る、という趣旨である。

この回答でネットはかなり荒れた。

 

ただ、ここで引っかかったのは、荒れた内容よりもこの場面そのものだった。

作家のこだわりが理由なら、答えるのはスタジオジブリのはずである。

ところが記者会見で配信の可否を答えたのは、放送局の社長だった。

 

しかも、この話には続きがある。

福田博之は2023年に日本テレビから送り込まれて、スタジオジブリの社長も兼ねていたのである。

あの会見で配信を見送ると答えた人は、放送する側の社長であり、同時に作品を持つ側の社長でもあった。

テーブルの両側に、同じ人が座っているような状態だ。

なおジブリの社長のほうは、2026年6月に退いている。

隠されていたわけでもなんでもない。

誰が決めているのかは、公の場ではっきり見えていたのだ。

 

ネットには、これを冷静に見ている声もあった。

スタジオ側はむしろ軟化していて、放送局側が現状維持を望んでいる、という見立てである。

 

そしてこの放送局とスタジオの距離が、思っているよりずっと近い。

日本テレビは2023年10月、ジブリの議決権の42.3%を握る筆頭株主になった

株主総会でものを言える票の4割以上ということだ。

これでスタジオジブリは、日本テレビの子会社になっている。

もともと15%ほどを持っていて、そこへ買い増した形である。

追加取得だけで約100億円、それまでの分を合わせた取得原価は155億円だという。

 

この関係は、買収から始まったものでもない。

日テレは『魔女の宅急便』から『レッドタートル』まで出資し、製作にも加わってきた。

『もののけ姫』の製作には、当時の日テレ会長・氏家齊一郎の名前が入っている

その氏家と、ジブリ初代社長・徳間康快の付き合いは、さらに前までさかのぼる。

氏家が東大生、徳間が読売新聞の記者だった時代の取材で出会い、意気投合したのが始まりだそうだ。

 

40年近く積み上がった付き合いの上に、いまの配信不在が乗っている。

もはや身内の話に近く、ネットでも「日テレとのズブズブリな関係をどうにかしてくれ」なんて書き込みまであった。

ただ、ここまで読んで「じゃあ全部日テレのせいか」と思った人には、こういう反論があることも言っておきたい。

これはもっともな指摘だと思う。

子会社になるずっと前から、ジブリ作品は国内で配信されていなかった。

だから「日テレが来た日から止まった」という単純な話ではない。

 

それでも、疑いの目を向けたくなるのも無理はない。

むしろ疑いたくなる材料のほうが揃いすぎているのだ。

海外では、普通に配信されている。

権利者が違う1本だけは、日本でも配信されている。

そして配信するかどうかを答えるのは、スタジオではなく放送局の社長。

白と言い切る材料も、黒と言い切る材料も、外側には転がっていない

ならば、どこを見れば分かるのかというと『損得』である。

金曜ロードショーが守ってきたもの

まず、日テレがうなずけば明日から配信が始まる、という話ではない。

ジブリ作品は、作品ごとに出資している会社の顔ぶれが違う。

配信に必要な権利を、そのすべてから取り直さなければならない。

親会社になったからといって、書類の山が勝手に消えるわけではないのだ。

 

ただ、それは「できるか」の話であって、「やる気があるか」の話ではない

その面倒を引き受ける動機が日テレの側にあるのかどうか。

そこを見ると、話はいっきに分かりやすくなる。

 

金曜ロードショーのジブリは、いまも数字を取る。

年に4回から8回、放送すれば確実に人が集まる看板である。

いつでも見られるようになれば、その希少価値は薄れてしまう。

配信で解禁するというのは、自分の店の名物を隣の店でも売っていいと言うようなものなのだ。

 

ここで、もうひとつ引っかかる事実がある。

日本テレビは、Huluという自前の配信サービスを持っている

囲い込みたいだけなら、そこで独占配信すればいい。

ジブリがHuluでしか見られないとなれば、加入者を集める武器としてこれ以上のものはないはずだ。

ところが、それすらやっていない。

 

日テレが守っているのは、配信のシェアではない

金曜の夜そのものなのだ。

ネットにも、そこを冷静に見抜いている人がいた。

いちばん現実に近い見立て。

つまり解禁のスイッチを握っているのは、金曜の夜の視聴率ということになる。

 

闇深い話を追いかけていたはずが、行き着いた先は放送局のそろばんだった。

正直、少し拍子抜けである。

ただ、そのそろばんがやろうとしていることを、言い換えてみるとこうなる。

 

年に何回か、決まった曜日の決まった時間に、日本中が同じ映画を見る

 

ネットでは「パヤオはCM中にトイレへ行けるように作っている」みたいな冗談まで飛んでいた。

もちろん本人がそんなことを言った事実はない。

それでも笑ってしまったのは、あの冗談が妙に的を射ているからだろう。

 

ナウシカが始まる前に風呂を済ませて、CMのあいだに麦茶を取りに行く。

「これ何回目だっけ」と言いながら、結局ラストまで見てしまう。

いつでも見られる配信には、逆立ちしても作れない時間である。

 

そして気づけば、あの夜にジブリを見て育った子どもが、いまは親になっている。

サブスクに来ないのは、たしかに不便だ。

それでも年に何回か、子どもと並んでお茶の間でナウシカやトトロや千と千尋の神隠しを見る夜が来ると思えば、案外悪くない気もしてくる。

解禁の日は、そのうち来るのだろう。

ただ、それまではもう何回かテレビの思惑につきあってみようと思う。