2020年5月、神戸市内でマスク着用を注意された男が、相手の男性にヘッドロックをかけて背中を打ちつけ、下半身不随にさせるという事件があった。
当時、容疑者の男はマスクを付けておらず、それを注意されたことに腹を立てたことがきっかけで、このような乱暴な行為に及んだとのこと。
この話、過失は間違いなく容疑者側にあるのだが、きっかけを作ったのが被害に遭った男性側にあったと思うと色々と考えさせられる。
マスクをすることは今や公共のマナーとなっていることだが、そこで出した正義感の代償が下半身不随というのは大きすぎる。
もちろん、今回のようなことはレアケースなのはわかっているが、マスクを注意されたことを力で反撃してくる輩もいることを、我々は理解しておかなければならない。
神戸で起きたマスク注意事件
事件が起きたのは2020年5月、神戸市内の駐車場。
神戸市長田区で運送業をしていた容疑者(25)が、マスクをつけるように注意されたことに激昂。
注意した男性(65)にヘッドロックをかけ、背中を地面に打ちつけたことで、相手の首の頚椎に大きな傷を負わせ、下半身不随にさせてしまったのだ。
容疑者は、背中を打ちつけたことを認めつつも、首を絞めたことについては覚えていないという。
※年齢は2021年12月時点での年齢
このニュースが流れたのが2021年12月8日なので、事件があったのは最初の緊急事態宣言が解除される前後くらいと推察される(2020年、関西圏の最初の緊急事態宣言は5月21日に解除)。
2021年現在において、マスク着用は社会における人と接する時のマナーとなっているが、この頃はまだその辺りの意識が人によって差があったようにも思う。
加害者と被害者が知り合いだったかどうかにもよるのだが、マスク着用を注意することは、場合によっては行き過ぎた正義感だったのかもしれない。
とはいえ、世界を震撼させている問題でもあったので、国民一人一人の意識が大切な時期だったことは間違いないので、ここは本当に難しい問題だと思う。
正義感も状況を間違えると怖い
繰り返しておきたいのだが、この事件に関しては容疑者側に過失があることは疑いのないことである。言葉に対して力で訴えるは通用しない。そうでなければ秩序というものがなくなるからだ。
しかし、世の中にはそれがわからない輩もいる。
容疑者にマスク着用を求めたことは、被害者男性の正義感からくるものだったのだろう。
注意の仕方がどのようなもので、状況や関係性がどのようなものだったかはこの時点では明らかにされていない。
ただ、報じられている情報を拾ってみると、行き過ぎた正義感だったのかもしれないと考えられないでもない。
例えば、容疑者は25歳で、被害に遭った男性は65歳だったこと。
力の勝負となれば、40歳という年齢差でのケンカが一方的な結果となるのは目に見えている。容疑者の男もそれがわかっていたから力で訴えてきたと考えられるので、もし顔見知りでないなら行き過ぎた注意と言えるだろう。
また、駐車場というのは場所も悪い。最近は防犯カメラが設置されているとはいえ、よほどの理由がない限り、駐車場などという人目につかない場所での揉め事は避けるべきだ。
特に力で訴えようとするタイプの人間にとって、人目につかない駐車場や路地裏、密室というのは絶好の場所となる。DVなら自宅、ヤンキーの喧嘩は港の倉庫、ヤクザは事務所、トラブルが起きるのは昼よりも夜、みたいな感じで人目につかないところはとにかく危険である。
その場で注意したのか、注意したことで駐車場に連れていかれたのかはわからないが、地理的に危険な場所であることはたしかだ。
もちろん、やむを得ない理由があったのかもしれない。
ただ、世の中には問答無用で力に任せてくる輩もいるので、相手をみて慎重に行動を起こさなければ怖いことになるなと、今回の事件で改めて考えさせられた。
(追記:12月17日)
被害者と加害者は元々知り合いではないとのこと。
被害にあった65歳の男性は知人女性と昼食に向かう途中、コインパーキングでマスクをしていない男を見かけ、「マスクせえや」と注意したことからトラブルが起きたそうだ。
元々、海上コンテナを運ぶトレーラーの仕事に就いていた被害者男性は、数年前に退職した後、ゴルフなどの趣味を満喫して健康な日々を送っていた。
それがたった一言で生活が一変。
当時のことを振り返り、「殺されたようなもんや」と自身の余計な一言を後悔しているという。
正義感の代償が下半身不随とはやりきれない…
結局、被害者の男性は下半身不随という大怪我を負うこととなった。
マスク着用を注意したことで暴力を受け、半身が麻痺してしまったというのは代償として大きすぎる。
容疑者も25歳だというが、この先の長い人生、賠償金に苦しむことになるだろう。
関わった人間全てが不幸になる、本当にやりきれない話だ。
そもそも、店内のように不特定多数の人間が集まる場所・屋外の密集地以外では、そこまでマスクの着用を他人に求めなくてもいいのかもしれない。
最近では、とにかく赤の他人にもマスク着用を求める一般人のことを『マスク警察』とも呼んだりするが、世の中にはそういう風潮に反発する層も一定数いる。
過去には飛行機に搭乗する際にマスクをしないと抵抗した男が問題になったり、現在でも大分県臼杵市のとある市議がマスクをしないことを貫いて物議を醸していたりしているが、このような頑固者 of 頑固者な人間も中にはいるのだ。
止むに止まれぬ事情でもない限り、こちらから関わりを持たないほうがいいのかもしれない。
実際、感染予防としてマスクの効果は立証されており、新型感染病を抑えるために皆がマスクをする試みは、個人的には清潔な日本人らしいマナー意識だと誇らしく思う。大抵の人は、自然とその流れに従っているため、今や常識化しているという部分は否めない。
しかし、そこを行き過ぎて他人への注意までいってしまうと、世の中の風潮に抗う少数の変わり者にバッティングしてしまうこともある。なんせ時流に逆らってるわけだから、そこで何かしらの違和感を感じなければならない。
要は、盲目的になって赤の他人に口うるさく言ってしまうのは、不要なリスクを孕んでいるということだ。そこをスルーして注意するということは、自分もまた少数の変わり者になってしまうことにもなるので、似た者同士の間でトラブルになるということも起きてくる。
マナー意識が欠如してるのも困るが、行き過ぎた正義感を振りかざす人というのもまた怖いというわけだ(特に顔見知りではない人に、密でもない屋外駐車場で命令口調はどうかという意見が多かった)。
今回のようなケースにおいては、どちらも静かにマナーを守っている人とは異なるように思う。
君子危うきに近寄らず。
粛々とマナーを守りつつ、他人の自由を認める余裕も持ってトラブルを避けたいところである。