『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』で記事を書くのも、これで5本目になる。

さすがに我ながらどうかしているが、これまでの4作はすべてネタバレなしで書いてきた。

しかし、今回は初めて【ネタバレあり】で記事を書こうと思う。

そんな今回のテーマは、僕が一番語りたかった『神話』である。

というのも、アニメの裏設定で神話を取り扱っているものは少なくない

有名どころなら、

  • 新世紀エヴァンゲリヲン
  • 魔法少女まどか☆マギカ
  • デビルマン

といった感じだ。

実際、映画ちいかわにも、「あれは失楽園だ」「いや、祟り神の話だ」といった声もSNS上で見受けられた。

しかも、どれもそこそこ筋が通ってしまうところがあるのだ。

かわいい生き物が島でわちゃわちゃする映画のはずなのに、なぜそこに神話という荘厳な設定が絡んでくるのか。

今回はネタバレも含むが、あの人魚の島で起きたことを神話という地図の上に置き直してみたい。

ナガノワールドと神話の関係

セイレーンという名前がギリシャ神話から来ていることは、大人なら何となく知っているだろう。

歌声で船乗りを惑わせる、あの人魚である。

ちなみに神話のセイレーンは、もともと半分『鳥』の姿をした怪物だった。

それが時代とともに人魚のイメージと混ざり、いまではスタバのロゴの二本尾の人魚もセイレーンと呼ばれている。

ただ、ちいかわが借りているのは名前だけではない。

原典のセイレーンは、美しい歌で船乗りを引き寄せ、正気を奪い、そのまま破滅させる。

映画のセイレーンがやっていることも、そっくりそのままである。

歌で意識を奪い、島民を海の向こうへ連れていく。

つまり響きのいい名前を借りてきたのではなく、役割と手口ごと原典を再現しているわけだ。

しかもあの歌は、島の作物を実らせる力まで持っている。

恵みをもたらす歌と、命を奪う歌が、同じ喉から出ている。

このあたりから、もう普通のキャラクター設定ではない。

 

そもそも、神話から名前をもらったキャラは、セイレーンのほかにもいる。

代表格はキメラだろう。

あれもギリシャ神話に出てくる、いくつもの生き物が混ざり合った怪物の名前だ。

ドラクエやFFで名前だけ知っている人も多いだろう。

しかもちいかわの世界では、もともと何かだったものが変えられてしまった姿として描かれる。

あのかわいい絵柄の裏で、神話の引き出しが何度も開け閉めされているのだ。

 

実際、映画を観た人たちは次々にそこへ気づき始めている。

調べれば調べるほど奥が深いぞ、にはまったくの同感である。

だとすると、こう思わないだろうか。

この映画、いったいどこまでが神話なんだ、と。

島二郎=ポセイドン説とは?

まずは、いちばん有名な説からいきたい。

森の奥で貝汁とカツカレーを出している、あの島二郎である。

エプロン一枚。

つまり後ろは、尻である。

あの尻が今回、劇場の大スクリーンに堂々と映し出されたわけだ(笑)

それでいて客はほとんど来ない。

なのに海へ潜れば、あのセイレーンと真正面から渡り合ってしまう。

ちょっと考えると、そのおかしさに気づく。

 

そこで原作の登場時からずっと言われているのが、島二郎の正体はギリシャ神話の海神ポセイドンではないか、という説だ。

僕はこの説がわりと気に入っている。

なにしろ根拠が、ちょっと揃いすぎているのだ。

  • 「二郎」は次男。ポセイドンもクロノスとレアの次男(兄がハデス、弟がゼウス)
  • 腰にエプロン一枚という格好が、腰布だけを巻いたポセイドン像とほぼ同じ
  • 水流を操り、海の中で長く動きまわれる
  • 両こめかみの稲妻模様は、弟ゼウスとの兄弟げんかで負った傷ではないかとまで言われている

ギリシャの海の神が、島の森の奥で定食屋をやっているシュールレアリスム。

定年後に蕎麦を打ち始めた元社長みたいな話だが、腕っぷしだけは現役、というわけだ。

 

思い返せば、その戦い方も普通ではなかった。

セイレーンの寝ている洞窟へ忍び込むとき、島二郎は波の音を口真似して、海そのものに化けてみせる

手に染みついた磯の香りまで込みで、自分を風景に溶け込ませてしまうのだ。

正体がどうこう以前に『海の側の存在』としか思えない。

そのくせ最後の切り札が、前掛けに忍ばせていた激辛の唐辛子である。

神なのか、ただの飲食店の店主なのか。

観客を煙に巻くこのギミックが堪らない。

 

さらに気味が悪いのが、この説を後押しするモニュメントが現実に存在することだ。

愛知県の離島・佐久島に、島二郎そっくりの海神さまの像がある。

しかも同じ島には、人魚の石像まで置かれている。

島編のモデルは愛知なんじゃないか、という話まで出てくるのだから、なかなか業が深い。

ポセイドン説に愛知説、そして土着神説。

裸エプロンのおじさん一人に『説』が渋滞を起こしているのである。

 

いずれにせよ、この仮説を立てるとするならば、あの島には神様が二人いたことになる。

海の向こうからやってきたセイレーンと、森の奥にひっそり住み着いていた島二郎。

この構図が、話の終わりで効いてくるのである。

あの歌は神への貢物だった

すでに映画を観た人なら、あの歌を覚えているはずだ。

島民たちが浜辺で歌う、ご馳走の名前がひたすら並んでいく、あの歌である。

楽しげな歓迎ソングとして聞いた人も多いだろう。

ところがあれは、歓迎ではなく貢ぎ物のリストだったのではないか、という読み方がある。

これがなかなかゾッとする。

 

セイレーンは、島に恵みをもたらす存在であると同時に、機嫌を損ねたら何をされるか分からない存在でもあった。

だから島民は歌う。

これだけのご馳走を捧げますので、と。

どうか私たちのことは、見逃してくださいと。

 

つまりあの歌は「ようこそ」ではなく、「お願いします」という嘆願の意味だったという見方もできるのだ。

初見でニコニコ聴いていた自分を殴りたい。

言われてみれば、あの曲はどこか不穏な響きが印象的だった。

明るいだけのメロディなら、あそこまで脳内に残ったりしない。

底に流れているのが親しみではなく畏れだった。

そう考えると、あの居心地の悪さにきれいに説明がついてしまう。

 

しかも、である。

ネットには、さらに踏み込んだ指摘があった。

洞窟へ漕ぎ出すちいかわたちの掛け声「おーえす!」が「SOS」の連呼に聞こえる。

おまけに島の歌の歌詞を頭から読んでいくと「たすけて」が浮かび上がるというのだ。

…偶然かもしれない。

ただ、偶然だとしたら、できすぎではないだろうか。

 

日本の言葉に置き換えるなら、セイレーンは祟り神に近い。

供物を捧げて鎮め、その見返りに豊かさをいただく。

仲良しこよしではなく、これは『取引』である。

機嫌を損ねたら怖い相手に、みんなで手土産を欠かさない。

どこの職場にもある光景だと思えば、急に生々しくなってくる。

 

そう思って見直してみると、島の印象がかなり違って見えてくる。

食べ物が豊富で、島民がのんびり暮らしていて、よそ者にもやたらと気前がいい。

あの豊かさは、島の恵みというより、神様を怒らせずにいられた期間の長さだったのかもしれない。

豊かで平和に見えていた島は、実のところ細い綱の上に成り立っていた。

そしてその綱を、切ってしまった人たちがいる。

そう、あのふたりだ。

人魚殺しという大罪

ここから重い話になる。

きっかけは、ただの事故だった。

セイレーンが海で遊んでいたとき、その尾ひれがボートに当たってしまう。

それでフタバが瀕死の重傷を負った。

悪意はどこにもない。

不意に起きた突発的な事故である。

 

友を助けたい一心で、ヒトハは人魚を捕らえ、その肉を食べさせた。

人魚の肉には、永遠の命を与える力があるとされていたからだ。

フタバは助かった。

ただ今度は、自分だけが永遠に生き続けることになる。

その孤独に耐えられなくて、フタバはヒトハにも同じ肉を食べさせた。

 

二人の行動に、悪意はひとかけらもない。

あるのは友情と、恐怖と、優しさだけである。

いまの感覚で見れば、追い詰められた末の緊急避難として同情の余地さえあるだろう。

それでも神話は、そんな人間の事情など一切くんでくれない。

 

セイレーンが神なら、人魚はその使いだ。

使いを殺して、食べた。

動機がどれだけ純粋でも、越えてはいけない一線を越えたという事実だけは動かない。

神の正義は、人間の正義と一致しないからだ。

 

だから怒りは、二人だけに向かわなかった。

何も知らない島民が、次から次へと連れていかれる。

理不尽 of 理不尽。

しかし、この理不尽さこそ、これは神話なのだと思う。

神の領域に踏み込んだ者の話は、昔からだいたい似たような末路をたどる。

悪気があったかどうかは問われない。

線を越えた、それだけで罰は下る。

観た人の受け止めも、だいたい同じところへ着地していた。

そう、当然なのだ。

納得はできないが、理解はできてしまう。

それが『神』というものなのだろう。

 

しかもこの話が苦いのは、真相にたどり着いたちいかわが、それを誰にも言わなかったことだ。

告げれば島は荒れる。

黙っていれば、二人は逃げ切れるかもしれない。

知ってしまった者だけが、黙るという重荷を引き受ける。

ちなみにこの後味は『クトゥルフ神話』っぽい。

こちらはギリシャ神話と違い、100年ほど前にアメリカの作家ラヴクラフトが生み出した創作の神話である。

ピンとこない人は、映画『ミスト』を思い出してほしい。

人間の善意も理屈もまるで通じない存在の前で、正しくあろうとした人ほど報われない、あの救いのない話だ。

実は原作者のスティーヴン・キングは、ラヴクラフトの影響を公言している直系の書き手である。

映画ちいかわが『ミスト』のような救われない映画に例えられがちなのも、根っこに同じ神話の血が流れているからだろう。

このあたりの後味の悪さについては、こちらの記事でしっかり書いたので今回は深追いしない。

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そしてここで、あの歌がもう一度効いてくる。

物語の終わり、島の歌の歌詞は変わっているのだ。

セイレーンへの供物を並べた歌ではなく、貝汁とカレーの歌になっている。

この映画の唯一の救い、島二郎の歌である。

 

畏れながら鎮めるしかなかった神から、腹いっぱい食わせてくれる善き神へ。

島の信仰が、まるごと引っ越したことになる。

あの島に神様が二人いた意味は、たぶんここにあったのだろう。

禁断の果実と終わらない罰

ところで、ここまでの流れをどこかで聞いた覚えはないだろうか。

美しい楽園がある。

そこには、食べてはいけないものがある。

食べた瞬間に楽園は終わり、当人たちは追い出される。

そう、アダムとイヴである。

エデンの園で禁断の果実をかじり、楽園を追い出された、あの話だ。

この楽園追放の物語こそ、世に言う『失楽園』である。

 

ただし、ちいかわ版はもっと後味が悪い。

アダムとイヴは誘惑に負けたが、ヒトハとフタバはただ友達を助けたかっただけなのだから。

善意で禁忌を踏み抜いてしまうほうが、逃げ場がない。

誘惑なら断ればよかったで済むが、友達を見殺しにできるかと言われたら、たいていの人間は同じことをするはずだ。

 

見方を仏教に変えても、やっぱり同じように読めてしまうところがある。

  • 事故が殺生を呼び、
  • 殺生が永遠の命への執着を呼び、
  • 執着が報復を呼び、
  • 報復が隠蔽を呼ぶ。

誰ひとり純粋な悪人ではないのに、全員が業を背負わされていく。

 

そして永遠の命は、この物語では決して『救い』として扱われていない。

セイレーンが用意していた罰を思い出してほしい。

体にぴったりのオリに入れて、深くて暗いところで、永遠の命を味わってもらう。

殺してもらえないし、死なせてももらえない。

これほど残酷な罰があるだろうか。

 

ちなみに「人魚の肉を食べると永遠に生きる」という設定そのものも、日本に千年近く伝わる言い伝えが下敷きになっていると言われている。

八百比丘尼(やおびくに)の話だ。

昔話の娘は、人魚の肉と知らずに口にして、まわりが次々に老いて死んでいくのを、ひとりで八百年見送り続けた。

面白いのは、千年前の昔話でも、永遠の命は幸せとして描かれていないということ。

知らずに食べた娘も、殺して食べた二人も『行き着く先は同じ孤独』である。

人魚の肉は、誰がどんな理由で口にしても呪いにしかならないのだ。

その昔話については前回たっぷり書いたので、気になる人はこちらをどうぞ。

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結局、ヒトハとフタバは、誰もいない島へ逃げた。

けれど最後の最後、その島へ向かうセイレーンの影が描かれる。

罰はまだ、始まってすらいない。

観終わった人の感想にも、こんな一言があった。

令和の失楽園とは、言いえて妙である。

 

さて。

そろそろ最後のまとめとなる。

ここまでさんざん語っておいて何なのだが、ナガノ先生本人は「深い意味はない」という趣旨のことを言っていたことも伝えておきたい。

メッセージや重いテーマを描きたいわけではなく、何かが起きたときの反応や表情を描きたいのだ、と。

カマキリのメスがオスを食べてしまうような、生き物ならではの容赦のなさが好きなのだそうだ。

 

ただ、意味を込めていないはずなのに、世界中の神話とここまで噛み合ってしまうというのは、それはそれで面白い話ではないか。

禁忌、永遠の命、罪と罰。

人間が何千年も答えを出せずにいる命題を、あのかわいい絵で平然とやってのけているのだから。

信じるか信じないかは、観た人が決めればいい。

ただ、そういう目で観直すと、ナガノワールドはやっぱり底が知れない。

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