7月28日の熊本の地震のあと、イオンモール熊本で起きた爆発で、7人が亡くなった。

亡くなったのは、全員がテナントの店で働く人たちである。

あの日、客はおよそ3000人が地震から30分ほどで外へ出て、誰ひとり欠けることなく家へ帰っている。

 

なぜ、一度は逃げたはずの人が戻ってしまったのか。

その一点に、新しい証言が出てきた。

複数のテナントの従業員が、イオン関係者の許可を得て館内へ戻ったと話している、というのだ。

 

ここで思い出したのが、事故の翌日に開かれた会見である。

記者はイオンの吉田昭夫社長に、はっきりこう聞いていた。

「確認ですけど、『中に入っていいよ』とアナウンスとかは?」

返ってきた答えが、これだ。

「そういったことは一切ございません。明確に否定しておきます」

あれから、9日。

いま出てきているのは、その断言とかみ合わない話ばかりなのだ。

  • 結局、誰が「戻っていい」と言ったのか
  • 安全の確認は、終わっていたのか
  • 現場の従業員に、そこまでの責任があるのか

今回は、この「誰が戻っていいと言ったのか」を順番に見ていこうと思う。

経緯はまだ調べの途中で、ここから先には僕の見方も交じることは断っておく。

戻ったのは1人や2人ではなかった

まずは、報道に出ている証言から見ていこう。

衣料品店の店舗責任者は、顔なじみのイオン関係者2人からこう声をかけられたと話している。

「貴重品や車の鍵などを持っている方は店舗に取りに帰ってすぐに避難してください」

それを受けて、店長らが店内へ戻っていったという。

 

2階のフードコートで働いていた従業員の話は、もう少し具体的である。

避難誘導をしていた男性スタッフから「貴重品がないと帰れない従業員は一緒にまとめて取りに行くように」と言われ、北側の駐車場に避難しておよそ45分後、1階の出入り口から館内へ戻ったのだそうだ。

一人で勝手に動いたのではなく、まとめて行けと言われている。

 

そして、1階の店で働く女性の証言が、いちばん怖い。

車の鍵を取りに、施設の北西側から入ろうとしたときのことだ。

スタッフらしき人に「従業員です」と伝えたところ、止められることはなかったという。

そして中に入ると、ガスの臭い

この女性は、少なくとも5人が戻っている姿を見たとも話している。

証言はどれも別々の店から出ていて、入った場所も時間もばらばらである。

それでも、ひとつだけ共通していることがあった。

誰も、柵を乗り越えたり裏口から忍び込んだりはしていない。

声をかけられ、顔を見せ、正面から通っているのだ。

では、イオンはこの件をどう説明してきたのだろうか。

9日で変わったイオンの説明

もう一度、7月29日の会見に戻ってみる。

社長は「一旦避難をした者は館内に入らないというのが我々のマニュアルのルール」と説明したうえで、冒頭の「一切ございません」と続けた。

 

ここは、ひとつ正確に見ておきたい。

社長が否定したのは「アナウンス」、つまり館内放送のような形で全体へ「戻っていい」と告げたかどうかである。

入り口での立ち話まで含めて否定した言葉ではなかった、という読み方もできる。

実際、館内放送があったという証言は出ていない。

ただ、報道で何度も流れたのは「一切ございません」のほうである。

 

それから1週間後の8月5日、イオンは外部の専門家による事故調査委員会の設置を発表している。

そこで出された文書に、こういう一文があった。

「避難後、施設の安全確認が完了し、避難解除のアナウンスがなされる前に再入館があったという事実」を、当社として重く受け止める——。

再入館は、もう疑惑ではなく「事実」として書かれている。

しかも、イオン自身が自分の名前で出した文書で、である。

 

そして8月7日、冒頭の「許可を得た」という証言が報じられた。

これに対するイオン広報の回答が、「戻ってもよいという指示も含めて現時点で断定できない」というものだった。

並べてみると、こうなる。

  • 7月29日「一切ございません。明確に否定しておきます」
  • 8月5日「再入館があったという事実」を重く受け止める
  • 8月7日「現時点で断定できない」

9日間で、言葉はここまで動いてしまった。

嘘をついていた、とまで言うつもりはない。

あの会見は事故の翌日で、現場で起きていたことが社長のところまで上がっていなかった可能性は十分にある。

それでも、この3つを並べれば、断言が先で、確認が後だったことは分かる。

では、そもそもなぜ人は戻れてしまったのか。

今度は、仕組みの側を見てみたい。

安全確認より先に扉は開いていた

イオンの災害マニュアルには、大きな地震が起きたときの手順が決められている。

報道によれば、こういう順番だ。

  1. 利用客と従業員の避難を完了させる
  2. 警察や消防と連携して、施設の安全を確認する
  3. その結果を踏まえて、施設の責任者が入館の可否を各テナントへ伝える

学校の避難訓練で、運動場に出たあと、先生の点呼が済むまで「まだ教室に戻っちゃいけません」と言われる、あれと同じである。

紙の上では、どこも間違っていない。

 

ところが、あの日の現実はまるで違った。

安全の確認は終わっておらず、責任者からの正式な連絡も出ていない。

それなのに、人は入れてしまったのだ。

報道によると、ある女性従業員が「取りに行くように」と声をかけられたのは、午後5時15分ごろだったという。

避難の完了が、午後5時ごろ。

そして爆発が、午後5時50分ごろ。

逃げ切ってから15分後には、もう戻る流れが始まっていたことになる。

 

入り口の様子も、証言を並べるとばらばらだった。

テナント会社の社員は取材に、「イオンモールの入口はたくさんあるので、入口によっては入れたり、入れなかったりということもあったようです」と話している。

モールの管理者から「1人ではなく、4、5人固まって入るならいい」と言われたという話も出ているが、こちらはイオン側が確認できていないとしている。

つまりあの日は、ルールが決めていた「責任者の返事」の代わりに、入り口ごとの、その場の判断が戻れるかどうかを決めていたわけだ。

ここで、さっきの「ガスの臭い」を思い出してほしい。

安全の確認がまだだった建物の中は、実際に危なかったのである。

しかも、その臭いに気づけたのは、中に入ってしまった人だけだった。

どの店もイオンの許可待ちだった

ここで、テナント側の動きも並べてみたい。

売上金を金庫へ入れるよう指示していた2階の雑貨店ハビタは、その指示に条件を付けていた。

「イオンが戻っていいと言わない限りは入ったらダメ」という条件である。

この会社の指示と謝罪の話は、前回の記事にまとめている。

イオンモール熊本爆発後
ハビタの謝罪に納得できない理由…無事を知った後に戻らせた電話 8月2日の夜、22歳の女性店員の通夜が営まれた。 その席に、勤め先だった雑貨店「ハビタ」の社長と幹部が姿を見せている。 遺族に頭...

3人が亡くなった大手アパレルのオンワードも、「災害時の退避指示が徹底できていなかった」と発表した。

こちらの従業員は、貴重品を取りに戻ると連絡したあと、そのまま帰ってこなかった。

 

指示を出した会社も、戻っていった従業員も、最後の一線を自分では引いていない。

あの日、みんなが見ていたのは、イオンが「いい」と言ったかどうかである。

 

ところが、その返事を正式に出せる手続きのほうは、まだ始まってもいなかったのだ。

安全の確認が終わっていない以上、責任者は「いいですよ」と言える状態にない。

それなのに、現場のあちこちで「いい」が出て、その一言が条件をすり抜けてしまった。

いったい、誰の声だったのか。

入館を決められる立場の人だったのか、それとも、そこまでの権限を持たない誰かのその場の判断だったのか。

肝心のそこが、まだ分かっていない。

まさに、この「誰が」なのだ。

この答えひとつで、責任の重さはまるで変わってくる。

ただ、その声をかけた誰かを探し出して吊るし上げれば済む話かというと、僕はどうもそう思えない。

現場にそこまで求められるのか

ネットには、こういう声がある。

まったくそのとおりだと思う。

車の鍵がなければ家に帰れないし、スマホがなければ家族に無事も伝えられない。

しかも真夏の夕方に、着のみ着のままである。

取りに帰りたいと言うのを、わがままだと責められる人はいないだろう。

 

では、それを頼まれた側はどうだろうか。

あの日、モールのスタッフたちは、およそ3000人の客と千数百人の従業員を30分で外へ出し切ったばかりだった。

その直後に、今度は入り口へ立たされる。

やって来るのは、いつも顔を合わせているテナントの従業員。

「従業員です。鍵だけ取らせてください」と頼まれる。

断る根拠になるはずの安全確認の結果は、まだ誰の手元にも届いていない。

ガスが漏れていることを知るすべも、その人たちにはない。

自分に止める権限があるのかどうかさえ、はっきりしない。

いちばん材料を持っていない人が、いちばん最初に「入れてください」と頼まれる場所に立たされていたのである。

 

白状すると、僕がその立場でも、たぶん通してしまったと思う。

目の前にいるのは知っている顔で、頼まれているのは車の鍵だ。

「規則ですから」と突っぱねる材料が、こちらの手元に何もないのだから。

 

だから、声をかけたスタッフや、通してしまった誰かを名指しで責めることに、僕はまるで意味を感じない。

その人たちは、目の前の「帰れない」をなんとかしようとしただけかもしれないのだ。

おかしいのは、そういう善意の一言がそのまま「イオンの許可」として通ってしまう状態のほうである。

「安全の確認が終わるまでは、誰であっても入れない」

これを全部の入り口で言い切れるようにしておくのは、その場に立った個人の頑張りではなく、会社が先に用意しておくべき仕組みの仕事だ。

 

そして、この「誰の声だったのか」をいちばん知りたいのは、ネットでも僕らでもない。

『帰れ』と言ってほしかった

爆発で亡くなった22歳の女性店員の母親が、取材にこう語っている。

「娘は自分の意思でもう一度、館内に入ったのではありません。会社から指示があったから戻ったんです。このままでは、娘が報われないと思います」

駐車場で親族に止められながら、「会社の人から頼まれた」と言って戻っていったことは、これまでの記事で書いてきたとおりだ。

その親族の男性は、「私は人災だと思います」と言葉を絞り出している。

そして母親は、こう続けた。

「しっかり真実を話してください。止めてほしかったです。『帰れ』って言ってほしかったです」

 

この「止めてほしかった」が、誰に向けられた言葉なのかを考えてしまう。

売上金の指示を出した会社は、すでに指示を認めて遺族へ謝罪した。

残っているのは、あの日、彼女が最後に通った入り口で「帰れ」と言えたはずの側である。

遺族は、刑事責任を問うことも視野に入れていると報じられている。

イオンの調査委員会も、再入館の経緯とモールの運用を検証すると文書に明記した。

ただ、専門家を集めた調査となれば、答えが出るまでには時間がかかる。

 

ネットで、こんな言葉を見かけた。

現場のそばで暮らす、同じ年頃の娘を持つ人の言葉である。

 

9日かけて、「一切ない」は「断定できない」になった。

あの日、あの入り口で、誰が何と言ったのか。

その答えは、あの場所にいた人たちがもう知っている

報告書が出るより先に、その人の口から遺族へ話してほしいと思う。

亡くなった7人の方々のご冥福を、あらためて心よりお祈りする。

爆発後のイオンモール熊本
イオンモール熊本の爆発はなぜ…タンク無傷なのにガスが漏れた謎7月28日の令和8年熊本地震から約1時間20分後、熊本県嘉島町(かしままち)のイオンモール熊本で、大きな爆発が起きた。 買い物客およそ...