兵庫稲美町放火殺人事件、容疑者の動機が許せない

兵庫県稲美町で起きた放火殺人事件。

この事件で幼い子供たちの命が失われたと聞いた時、本当に心が辛く苦しくなった。

逮捕された男は火災のあった家に住んでいた伯父(51)で、数日間は行方をくらませていた。動機もよくわからなかったので、ずっと何があったのか気になっていた。

しかし、ようやくその動機が判明した。

理由として、同居していた両親(伯父からみて妹とその旦那)に苦痛を与えるためだったと供述しているとのこと。

なんと罪深いことを…。

なんという卑怯者なのか。

そんな理由で幼い子供の命を奪われてしまったことに行き場のない怒りを覚える。

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兵庫県稲美町の放火事件

2021年11月19日、兵庫県稲美町岡で民家が全焼し、小学生2人が亡くなるという事件があった。原因は放火で、逮捕されたのはそこに住んでいた伯父(51)だ。

同居していたのは伯父の妹夫婦と2人の子供で、5人がその家に同居していた形だ。といっても、伯父と妹家族はあまり顔を合わせない関係だったらしい。

その家の名義は伯父だったとか、関係がうまくいってなかったとか、色々な情報がニュースで伝えられたが、正直、そんなことはどうでもいいことばかりだった。何一つとして、子供の命を奪われてしまう理由にはならないからだ。

だから、僕はどうか何かの間違いでそうなったと思いたかった。

何か悪魔のいたずらのようなことが偶然起きてしまい、そういう事故に至ってしまったのだと思いたかった。

しかし先ほど、ニュースの続報を見て身の毛がよだつ思いがした。

妹夫婦が仕事の関係で不在の時に、就寝中の兄(小学6年)と弟(小学1年)を狙って放火した理由が「妹夫婦に精神的苦痛を与えるため」だったと逮捕された伯父が供述しているというのだ。

ここまで卑怯で極悪な所業は、同じ人間としてどう受け止めていいかがわからない。

罪を償うことはできない

失われた命は二度と返ってはこない。

伯父と妹夫婦の間にどのような確執があったとしても、子供たちは全く関係のないことだ。

それなのに伯父は、妹夫婦に苦痛を与えるために子供たちの命を奪った。

そして、その身勝手な欲求を満たすために、敢えて妹夫婦が居ないところを狙って火をつけたのだ。筆舌に尽くしがたい卑劣さで、非人道的な犯行だ。

この男は自分の小さなプライドを守るために、未来ある子供たちの命を軽々しく奪い、妹夫婦を地獄の悲しみへと突き落とした。こんなことがどうして許されると思うのだ。

とりわけ卑怯だと思うのが、己のくだらない人生のジャッジを他人に任せているところだ。

後先考えず、放火も、逮捕も、その後の人生も、なるようになれという感じが出ている。

きっとずっとそうやって生きてきたのだろう。好きなように生きられる身でありながら、我が身可愛さで勇気も行動力も出さず、全て外部が悪いという思考で生きてきたのだろう。

その結果、幼い命を奪って妹夫婦を困らせるという身勝手な犯行に手を染め、自首することもなく逃亡し、未だに反省や謝罪さえないという。

要するに、自分が悪いと思ってないのだ。

むしろ、どうして自分の辛さを理解してもらえないのかと甘えたことを考えているに違いない。ずっと自分・自分・自分という自分中心の考えで、それが全ての苦しみを生み出していることに気づかずに、人や社会や国が悪いという思考に陥っている。

そのうえ臆病者で卑怯だから、姑息な暴力に訴えてフラストレーションを晴らす。

救いようがない。

本当に愚かで罪深いことだ。

到底、償える罪ではない。

もう誰もそんな人間の言うことに耳を貸さないし、共感を得ることもできない。容疑者の伯父はまた明日が来ると信じて眠りについた子供たちの命を放火という非道なやり方で奪った。胸は晴れただろうか。馬鹿言っちゃいけない。二度と穏やかな朝はやってこない。

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子供が狙われない社会に

20年前、僕はある人から「これからは子供が大事にされる」と教わっていた。

というのも、子供の数がどんどん減っていくからで、世の中の法則として少ないものは大事にされるようになっているからだ。

一方で、結婚や家族を持つという選択をしない生き方をするという人も増えてくる。

すでに多様性を認めることがスタンダードな社会だ。どんな道を選ぼうがそれはその人の権利として自由にやっていけばいい。

ただ、ひとつ思うことがある。

「もし、この伯父に家族がいたら、甥っ子に手をかけるということをしただろうか…」

僕は、この想像力の欠如が、このような犯罪を引き起こした根本にあると考える。

そして、その想像力の欠如というのが、家族を持たないことでどんどん膨らんでいってしまうのではないかと危惧する。

たとえば、子育てをしない独身者の中には、子供を育む社会を作る意識がない人もいる。あるいは、家族と離れて生活することで、高齢者への配慮ができない人もいるかもしれない(お断りしておくがあくまでもごく一部の人の話と捉えて欲しい)。

つまり、たとえ外部要因があったとしても、未婚や独身の人生を辿っていけば、他人のことを考える力が奪われてしまい、どんどん自己中心的な生き方になってしまう人も出てくるんじゃないかということだ。

世の中をそんな社会にしてしまわないために、どうすればいいのか答えはない。

しかし、一人で生きていくということは、本当は誰かと生きていくよりも大変なことなのかもしれない。

伯父にもし自分の悩みを話せる誰かがいたら、もう少し何かが変わっていたかも知れない。

でも何を言ったところで、小学生兄弟の命は戻らない。

生まれ変わりというものがあるなら、来世はどうか幸せな人生を送ってほしいと願う。

改めて、亡くなった兄弟のご冥福をお祈りします。どうぞ安らかに…。

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