神田沙也加の他殺説に物申す

女優の神田沙也加が急死したことを受けて、世間では色々な憶測が飛び交っている。

転落は事故なのか、それとも自ら選んだ道なのか。

すでにその答えはこちらで明らかになったように思う。

しかし当時は、基本的にそのどちらかだろうという意見が多い中、他殺説を訴える人もいて、正直驚いてしまった。もしも他者が関与していたらかなりスキャンダラスで、それはテレビのミステリードラマのような話になってくるからだ。

さらにはコロナがどうのと言ってる人もいるが、どちらにせよ客観的に話を探っていると、ミステリー思考の人が、動機がわからない結果、好みでそういう説を唱えているという印象を受けた。

つまり、他殺説を唱える人はヤバい人に見えるのだ。

 

たしかに「それってあなたの感想ですよね?」とひろゆきばりに言われるとそれまでなのだが、このSNS時代に微々たる可能性の話(しかも結構不謹慎である)をさもあるかのように吹聴してしまうと、遺族や事務所、関係者にとっては非常に迷惑な行為になるのではないかと心配してしまう。

特に他殺となると穏やかではない。

遺族や関係者であればそこは警察に任せたいはずだし、只でさえ悲しい出来事なのに、外野にややこしい話にされたくないと考えるのが人情ではないだろうか。

もちろん、詳しい発表がない現時点においては絶対にないとは言い切れないのだが、客観的に考えてみても他殺説はやっぱりおかしいと感じてしまうのだ。

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神田沙也加に他殺の可能性?

神田沙也加は35歳という若さでその生涯を終えた。

最後は札幌のホテルからの転落だった。

遺書などが見つかったという発表もなく、主演ミュージカルの公演を飛ばした直後の出来事だったので、非常に不自然な最後だったと感じた人も多いようだ。

さらに、北海道警察が「身を投げたと思われる窓の開閉幅は十数センチだった」と発表したことや、「わざわざ北海道の縁もゆかりもないホテルできて自殺するか?」といった意見、「テレビは自殺と決めつけているような報道の仕方をしている」といった意見などから、ミステリーを解く糸口を他殺というところに見出してしまう人も少なくない。

なるほどな、とは思う。

しかし、彼らの言う根拠は他殺の可能性を大きくするようなものだろうか?

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『他殺説』を客観的に見てみると…

真実を明らかにすることは良いことだと思うが、親族が悲しみに暮れている時くらいはそっとしてあげたいのが人情だ。

時々、マスコミがそういう人情に背くことをして炎上しているが、我々もSNSという情報発信ツールを手にした以上、リテラシーを持って取り扱いには注意しなければならない。

神田沙也加がホテルから転落し、その若い命を失ってしまったことについては多くの人が悲しんだと思う。

僕も正しくそう思っているのだが、それにしても『他殺の可能性』を考える人が多くてビックリする。

しかし、その可能性はゼロに近い。

 

理屈は単純だ。

もし他殺ならすぐに事件性があるとして警察が捜査を始めるし、それはすぐに我々の耳にも届くからだ。

それに、あれだけ大きなホテルなら防犯カメラの数も多く、他人がいた形跡があるかどうかは現場を見ればすぐにわかる。文春によれば、部屋のカードキーの記録にも異常がなかったとのこと。

死因も転落による外傷性ショックと発表されており、それ以上でもそれ以下でもない。他殺説を唱える人が考えるような「もみあった形跡」やらは何もないのだ。

北海道警察の発表でも、事件性はないと出ている。

その上で外野が自死や事故以外の可能性を主張するというのであれば、それは陰謀論を信じる類の人間だと自覚したほうがいいかもしれない。

余談だが、綾野剛が出ていた刑事モノ映画『日本で一番悪い奴ら』の影響もあってか「北海道警察を信用できない」という意見もあったが、それをリアル社会で言う人がいたらやはりヤバい人だと思われるに違いないだろう。

 

それにテレビなどのメディアが自殺に関する悩み相談のホットラインをいちいち付け加えてるのは、厚生労働省からの報道の手引きに沿っているからだ。

著名人の自殺に関する報道にあたっての手引

今回、神田沙也加が転落するに至った動機や経緯ははっきりしていないが、自死の可能性があるため『相談窓口』を必ず載せる報道をしている。

これは動機を自殺へと誘導しているのではなく、厚生労働省のガイドラインに沿ってやるべきことなので、そこは冷静に見ておいたほうがいいだろう。

くわしくはテレビが芸能人の自殺を報道しない理由を解説した記事を読んでみてほしい。

 

他にもよくある根拠として、「自殺をする前にわざわざ父親に連絡を入れない」というものがある。

しかし、もしこれから終わりの時を迎えるとするならば、最後に一番大切な人の声を聴きたいという気持ちはあると思う。

特に神田沙也加の場合は演技力なども高かったところから、非常に繊細で人の気持がわかりすぎるくらいわかる人だったのではないかと考えられるからだ。

数日後の誕生日のお祝いの言葉なら、父・神田正輝にこれから自分のすることを悟られる(心配させる)ことがない。そういう口実で、最後に大切な人の声を聴きたかったんじゃないかと思うのは自然なことだろう。

 

そして他殺ではなく自殺の線が濃いのは、やはり主演を務めるミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演(正午開演)を飛ばしているところだ。

その意思がなければ、父・神田正輝に電話した午前10時の時点で会場入りしていないとおかしい。

そうはせずにホテルから電話をかけることになったのは、やはり神田沙也加の心を何か陰の部分が覆っていたからでは…? なんとなくとそう思ってしまう。

 

ホテルには喉の不調や愛犬の死、自身の今後の恋愛の行方について書き置きも見つかっている。

普通、短期間の宿泊先でそんなネガティブなことを綴ったりはしない。

主演を務める身となれば、喉の不調を抱えている状態はものすごいプレッシャーだと想像できるし、ペットロスや恋愛のことで孤独感が強まっていたことを考えれば、全てを投げ出したくなってしまう気持ちもわからなくはない。

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神田沙也加の遺族の気持ちを考えたら…

有名人の急死に限らずコロナワクチンなどもそうだが、人はなぜミステリーに走ってしまうのか?

それは、過去にメディアが情報を使って大衆をコントロールしてきた歴史があるからだろう。ネットの普及によって情報が民主化されてから、徐々にそういった事実が明らかにされるようになったのだ。

例えば、フジや電通が行ってきた不自然な韓国推しや、とある政治団体の日本弱体化政策など、日本でも力のある組織が裏で大衆を画策してきた歴史がある。ネットで調べればいくらでも情報が出てくるだろう。

おかげでマスコミや大手メディア、警察を信用しない人が増え、さらにそういった人たちがネットやSNSを使ってそういう情報を拡散しようとする動きも増えてきた。

今回の神田沙也加のケースであれば、CIAに◯されたという話を信じ、それを拡散しようとしている人もいるようだ。

 

でもよく考えてみて欲しい。

だから何?

万が一にもCIAが絡んでいたとして、それがあなたの人生にどう関係していくというのだろう。もしそういう事実があったら、次はアメリカと手を切れとでも言い始めるのだろうか?

それとも芸能界をそういうミステリアスで危険な業界だということにして、今の自分の生活を慰めている?

 

もちろん、頭で考えるだけに留めるなら、何を妄想したって問題はない。

ただ、神田沙也加には遺族もいて、沢山のファン、友人、関係者がいる。

彼らがまだ悲しみに暮れている中で、他殺だの陰謀だの外野が騒ぎ立てるのは結構キツいものがあるんじゃないかと思うのだ。

遺族の気持ちを考えれば、亡くなった動機や経緯に関する事は専門家に任せるのが一番いいに決まっている。

それに生前、神田沙也加は、自身の結婚式をマスコミに荒らされたことで、「人生で一番幸せな日に悲しい想いをした」と世間に訴えるくらいの人だ。

そんな繊細な彼女がこの世を去ってからも、世間があれこれ余計な噂を立ててしまったら、彼女の魂も浮かばれないんじゃないかと考えてしまう。

 

あの日降り積もる雪が、神田沙也加の目にどう見えていたのだろうか。

今となってはもう、その答えは誰にもわからないが、後に週刊文春がその背景に何があったかを伝えることとなった。

しかし、神田沙也加が戻ってくることは二度とない。

だから静かに見送って、魂が還る場所での冥福を願いたいと思う。

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