ネタバレなし|映画ちいかわは現代版『グリム童話』だった…
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』について書くのも、これで7本目になる。
そろそろ通院を勧められそうな勢いだが、「そういえば…」と、ふと思ったことがある。
そもそもこれは、夏休みの子供向け映画ではないのか?
なので、ちいかわファンではなく、夏休みに子供を連れていくかどうかで迷っている親御さんに向けて書こうと思う。
なにせ、耳に入ってくる話が物騒すぎて、この映画は我が子をナマハゲと対峙させるくらいの内容だと思ってる人もいるかもしれないからだ。
ホラーだの。
大人が黙り込むだの。
劇場で泣いた子がいるだの。
そんな噂を聞かされたら、そりゃ迷う。
僕も多少責任を感じている…。
先に結論を書いておくと、僕は子供に見せていいと思っている。
ただし、その理由は「言うても、ちいかわ達が可愛いからね」ではない。
むしろ逆で、ちょっと怖いからこそ子供に見せる価値があると思っているのだ。
今回は【ネタバレなし】でいくので、安心してこの先を読み進めてもらいたい。
結論、見せて大丈夫
まずは、この映画に年齢制限はかかっていない。
れっきとした全年齢向けの夏休み映画で、血が飛ぶわけでも、ヤバいビジュアルの何かが飛び出してくるわけでもない。
ただ、正直に書いておくと、劇場で泣いてしまう子はいるとのこと。
ちいかわ映画で怖がっていた子供がいたってポストを見るけど、親戚の母娘の近くの席にいた幼稚園か小学校低学年くらいの子は怖いって泣いていたみたい。
親戚の子は中学年で泣かなかったけど、童話や昔話みたいな怖さだったって言ってたな。しばらく赤魚の煮付けと四角いビスケットは避けたいらしい😅— ぴぴっく (@8T4gK0q91J90034) July 24, 2026
幼稚園から低学年あたりの子が泣いて、中学年の子は平気だった、という報告である。
そして、その怖さを「童話や昔話みたいな怖さ」と表現しているところが、今回の話の入口になる。
感覚としては、絵本に鬼が出てきたときのあれに近い。
泣く子は泣くし、平気な子はケラケラ笑っている。
うちも小学生の子供を連れて観に行ったクチだが、当の本人はわりと平気な顔で出てきた。
むしろ僕のほうが、カツアゲにあった後の中学生みたいな顔になっていた。
あと、ひとつだけ先に言っておきたいことがある。
エンドロールで席を立ってはいけない。
あの後にもう一場面あって、そこを見たかどうかで受け取り方がまるごと変わってしまう。
ちょうど子供が「もう帰ろー」とぐずり出す頃合いなのだが、そこは親の踏ん張りどころである。
劇場での立ち回りや、ネタバレなしの感想については前回の記事にまとめてある。
実用的な注意点はそちらを見てもらうとして、ここからは別の話をしたい。
僕が「見せていい」と言っているのは、この映画に怖い場面が少ないからではない。
肝心の怖いところが、子供には届かない構造になっている。
ここがミソなのだ。
怖いのは大人だけ
まず、この映画ちいかわだが、映像そのものは何も怖くない。
基本的には、かわいい生き物たちが島へ渡って冒険する話でしかないからだ。
それなのに、観た大人が次々と黙り込んで出てくる。
なぜかというと、怖いのは映っているものではなく、それが何を意味しているかに気づいたときだからである。
逆に言えば、気づかなければ何も起きない。
では、気づかないのは誰か。
子供だ。
話題のちいかわ映画。各方面から大人の情緒をグリィ!してくるそうですが子供達はそこまで読み取れない二重構造になってるってことですよね。以前で言うところの昔話がそれで、ナガノ先生は流石としかいえないです。大人と子供に別々の感情を揺さぶるって凄いよ。あの可愛い絵柄からは想像できないもん
— える仔@文字書き中 (@wakaeruko) July 26, 2026
つまり、親と子で、観ている映画が違うのである。
しかも、それを子供に気づかせないための細工までしてあるのだ。
物語の核心にあたる言葉が漢字で書かれていて、そこにルビが振られていない。
低学年の子は、いちばん大事なところを読めないまま、楽しい冒険として持ち帰ってくることになる。
その結果、劇場では【奇妙な逆転現象】が起きる。
子供は元気で、親のほうが静かになる。
三者面談で、先生が「まあ、頑張ってますよ」と言う場面がある。
子供は褒められたと思ってニコニコしているのに、親だけが顔色を変えているみたいな。
同じ一言を同じ部屋で聞いていても、受け取るものは正反対。
つまり、怖い部分だけが子供の頭の上を素通りしていくのだ。
ちなみに、これは偶然そうなったわけではない。
原作者のナガノが脚本まで自分で書き、作画も音楽も本職を連れてきた布陣で固めている。
あの作り分けは、狙ってやっていると見たほうがいい。
昔話は後から怖くなる
そして、勘のいい人はもう気づいている。
これと同じものが、日本には昔から山ほど転がっている。
昔話だ。
たとえば、ごんぎつねである。
新美南吉が1932年に発表した作品で、小学校の国語の教科書に半世紀以上も載り続けている。
小学生が読むと「いたずら好きのキツネがかわいそうだった話」で終わる。
ところが、大人になってから読み返すと、これがなかなか胸を刺してくる。
届けた善意が、いちばん届いてほしい相手に伝わらないまま終わる話だからである。
子供のとき、そんなことを考えて読んだ人はいないと思う。
浦島太郎にしてもそうだ。
子供にとっては、亀を助けたら竜宮城でごちそうになれたラッキーな冒険譚である。
大人が読むと、もてなされた分の請求書が、最後に一括で届くウシジマくん的な話にしか見えない。
あの玉手箱はどう考えても手切れ金の類だろう。
今回のちいかわ映画見て「これは子供も観ていいのか?」という声が散見されるけど、原作公開当時の感想が結構的を射てたな、と我ながら思うのでセルフRT
まんが日本昔話だって実はすんげえ怖い何ならトラウマになる話も沢山あるんだけど(キジも鳴かずば撃たれまいとか)、それも含めて「物語」というか
— 櫛 海月 (@kusikurage) July 26, 2026
この投稿が大きく広がっているあたり、同じことを思った人はかなり多いことが見てとれる。
言われてみれば、まんが日本昔ばなしは相当なものを平気で流していた。
大人になれば、OPの竜の子太郎だけでグッと来る。
ただ、それで子供が壊れたという話は聞かない。
怖いところの意味が、子供のうちは開かないようになっているからである。
その場では意味がわからない。
だから傷つかない。
そして10年後、20年後に、何かの拍子でその意味がわかる瞬間がやってくる。
映画ちいかわがやっているのは、令和版のこれだと思っている。
結婚して子供ができてから、やっと親の大変さが理解できるように。
『火垂るの墓』の意味が、大人になってから理解できるように。
美しい数字が増えるように。
(突然のライラック)
「あとでわかる」というものは案外悪くない。
そんなセンチメンタルな瞬間がサプライズでやってくる手土産を、あのちいかわという映画はさりげなく子供たちにプレゼントしてくれるのだ。
ついでに書いておくと、大人があの後味をくらう仕組みについては、東野圭吾の小説に例えて別の記事にまとめてあるので読んでみてほしい。
グリム童話の親戚たち
そして、同じことを考えている人はネットにもいた。
ちいかわ映画を見たいけど見れない人たちへのアドバイス。ちいかわはね、昔話やグリム童話(原作)と同じカテゴリーとして見るといいですよ。
— こた @透明感メイクの人 (@kota_makeup) July 27, 2026
わざわざ「(原作)」と付けているところがポイントである。
なぜなら、いま絵本で売られているグリム童話は、だいぶ内容が薄められてるからだ。
原作は基本的に容赦がない。
シンデレラでは姉たちが靴に足を入れるためにかかとやつま先を切り落とすし、白雪姫では継母が焼けた鉄の靴を履かされて踊り続ける羽目になる。
これを子供に読み聞かせていたのだから、昔の大人も大概である。
ちなみに、グリム童話の代表作といえばこの辺りだ。
- 白雪姫
- シンデレラ(灰かぶり)
- 赤ずきん
- ヘンゼルとグレーテル
- ブレーメンの音楽隊
- ラプンツェル
- いばら姫(眠れる森の美女)
- 狼と七匹の子やぎ
正体は1812年にドイツで出た『子どもと家庭のメルヒェン集』という本で、初版だけで86編も詰まっている。
ついでに書いておくと、人魚姫とマッチ売りの少女はここに入らない。
あちらはアンデルセンである。
さて、この並びをよく見ると、みんな同じことをやっているのがわかる。
赤ずきんは寄り道するなと言われて寄り道し、狼と七匹の子やぎは開けるなと言われて扉を開ける。
ヘンゼルとグレーテルは、森の中に都合よく建っていたお菓子の家に釣られて、気づけば食われる側に立っている。
うまそうな入口の奥に、食われる仕掛けが用意されている。
これが『グリム童話の型』なのだ。
そして映画ちいかわは、この型をほぼそのままやっている。
いや、ぶちかましている。
そもそも、ちいかわ達が島へ渡ることになった経緯からして、すでにお菓子の家の匂いがするのだ。
昔話は基本的にこの構図でできている。
そして、映画ちいかわと中身が同じような構図の話は、グリム童話以外にもたくさんある。
- 鶴の恩返し=見るなと言われた場所を見てしまう話
- 注文の多い料理店=もてなしの言葉が、途中から意味を裏返す話
- ハーメルンの笛吹き男=大人が破った約束の代償を、子供が払わされる話
- 八百比丘尼=人魚の肉を食べて、死ねなくなってしまった娘の話
鶴の恩返しは、覗いた瞬間に関係そのものが終わる。
見なければ、ずっと一緒にいられたのに、である。
宮沢賢治の注文の多い料理店は、もっとそっくりだ。
丁寧な言葉でもてなされていたはずの客が、あるところで自分が客ではなく食材の側だったと気づく。
ちなみに、あの店の「注文」は客が出すものではなく、店が客に出していたものだった。
この手のひっくり返し方、どこかで見た覚えはないだろうか。
ハーメルンの笛吹き男は、1284年6月26日という妙に具体的な日付まで残っている。
これもグリム兄弟が『ドイツ伝説集』に書き残した話で、童話集とは別の本に入っている。
ネズミ退治の報酬を町が踏み倒したせいで、130人の子供が笛の音についていったまま帰らなかったという伝説だ。
大人の都合のツケを子供が払わされるという、考えただけで気が滅入る内容となっている。
ちなみに、伊藤潤二の短編『サイレンの村』がこの不気味さに近い。
山奥の村で毎夜サイレンが鳴り響き、それを聞いた村人たちがおかしくなっていく話で、その裏では全国で赤ん坊の誘拐事件が起きている。
音が人を狂わせ、子供が消えるというところはハーメルンと重なるが、『サイレンの村』はホラーゲームの『SIREN』に影響を与えたとも言われる初期の傑作でもある。
すまない、完全に脱線してしまった。。
そして八百比丘尼(やおびくに)。
これはもう、映画の中身をご存じの方なら説明もいらないだろう。
日本各地に残るこの言い伝えについては、記事1本を丸ごと使って書いている。
こうして並べてみると、なかなかの面子である。
宮沢賢治と、グリム兄弟と、中世ドイツの伝説と、日本の八百比丘尼。
この列にちいかわが座る椅子があるのかと言われたら、あるんだなこれが。
親の説教より映画一本
では、昔話は子供に何を教えてきたのか。
いろいろあるが、だいたいこの3つに集まる。
- うまい話には裏がある
- 破ってはいけない約束がある
- 世の中には敵わない相手がいる
そしてこの3つは、親が口で言って聞かせたところで、まず子供には届かない。
試しに、これを夕飯の食卓で真顔で伝えてみてほしい。
3秒で「はいはい」と流されるのがオチだ。
令和のジャパニーズチルドレンは非常に手強い。
ところが物語は、親の伝えたいこの世のルールを自然と飲み込ませてしまう。
説教ナッシングで。
なぜなら、約束を破った登場人物が、ことごとく目の前でひどい目に遭っていくからだ。
親が言えば説教になることを、物語は勝手に代わりに言ってくれるのである。
ちいかわ映画の感想が無限に流れてくるんだけど、私は小学生以上の子供は見て欲しいなって思うのよね。昔話やグリム童話などと同じ性質を持っているし、大人と子供が議論するにもってこいの内容ではあると思うよ。道徳って言ってる人が多いけどそう思う。もし自分だったら?という想像力は必要
— aurora (@au2121ra4olga) July 26, 2026
「もし自分だったら?」を子供の口から引き出せる映画は、そう多くない。
正直に書いておくと、僕もあの人魚の島で起きたことに答えを出せていない。
(7本もちいかわの記事を書いてるのに…)
親でさえ正解を持っていない話を、子供と一緒に持ち帰る。
それってステキやん?
そして、その意味は、いま全部わからなくていいのだ。
むしろ、わからないほうがいいまである。
わからないまま持って帰って、何年もかけてゆっくり開けばいい。
ちいかわ映画。とてもよかった👍✨
自分が幼い頃に「むかしむかし、あるところに…」と始まる昔話をきいて感じたモヤモヤを思い出しました。
願わくば、今のちびっ子たちがみて、そのちびっ子が親になった時に自分の子どもにもみせて…そんなふうに語り継がれてほしいなぁ🤔— 大丈犬太 (@risayuri) July 28, 2026
あのモヤモヤ。
子供の頃に受け取って、意味もわからないまま何十年も抱えていたあれのことである。
親が100回言っても伝わらなかったことが、映画一本であっさり入ってしまうことがある。
しかも、その場ではなく何年もかけて、じわじわと。
それなら、夏休みの99分を賭けてみる価値はあるんじゃないだろうか。
そして、観たあとで「あれはどういう意味だったのか」と検索したくなったら、ぜひ以下の2本の記事も読んでみてほしい。
どちらもネタバレ全開なので、観る前に開かないように。